久保山砦(くぼやま)
 別称  : 外久保砦
 分類  : 平山城
 築城者: 羽柴秀吉
 遺構  : 削平地か
 交通  : 名鉄小牧線田県神社前駅徒歩10分


       <沿革>
           天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いに際し、羽柴秀吉方の陣城として築かれた。
          守将は丹羽長秀であったとされる。同年四月九日の長久手の戦い以降、秀吉は楽田城
          から久保山砦に移って全軍を指揮したと伝わる。
           同年十一月に講和が成立すると、役割を失い廃されたとみられる。


       <手記>
           熊野神社の鎮座する丘が久保山砦跡で、境内に説明板が設置されています。境内の
          周囲は人工の切岸になっており、一部竪堀状に抉られた地形も見られますが、遺構か
          どうかは分かりません。
           ただ、境内背後は頂部も含めてもう2段の削平地が見受けられ、後背の内久保砦など
          と比べると、陣城らしさが幾分感じられます。一方で、現地説明板には東西八間(14.4m)
          南北十間(18m)の規模であったとされ、山頂の平場も神社境内もこれより明らかに広い
          ことから、どこまでが遺構なのかはなお留保が必要ともいえそうです。

           
 小松寺砦跡から久保山砦跡を望む。
熊野神社境内。 
 境内の説明板。
境内の斜面。切岸か。 
 境内斜面の切れ込み地形。
 遺構かは不明です。
2段目の削平地の城址碑。 
 山頂の削平地。


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