久米城(くめ)
 別称  : 竜貝城
 分類  : 山城
 築城者: 小野崎氏
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、土橋
 交通  : JR水郡線常陸太田駅からバスに乗り、
      「鹿島神社前」または「鹿島神社入口」
      下車徒歩10分


       <沿革>
           常陸平氏嫡流の大掾氏が鎌倉時代に館を設けたとする伝承があるが、一般には14世紀
          末〜15世紀初めごろに、小野崎氏によって築かれたとされる。小野崎氏は藤原秀郷を祖と
          する名門であるが、久米城を築いた人物については宗家である山尾小野崎通春の子とも
          分家の額田小野崎氏の出ともいわれ定かでない。
           久米城主小野崎氏は久米氏を称したが、3代目の通室には男子がなく、小貫頼重の子の
          定春を養子とした。小貫氏は通春の次男通伯に始まり、久米氏とは同族である。
           文明九年(1477)に佐竹氏の家督を継いだ佐竹義治は、対立する山入氏(山入佐竹氏)
          への備えとして子の義武を久米城に配し、久米氏を部垂城へ移した。翌十年(1478)、義武
          は山入義知に久米城を攻められ戦死した。しかし、まもなく義治は岩城氏の援軍を上けて
          城を奪還し、義武の弟義信を新たに久米城主とした。北の山入氏に対峙したことから、義信
          は「北殿」と呼ばれ、その子孫は「佐竹北家」と称されるようになった。山入氏は永正元年
          (1504)に滅ぼされ、久米城の戦略的な価値は大きく減じたが、それでも太田城を守備する
          有力支城としてその後も存続したとみられる。
           慶長七年(1602)に佐竹家が出羽へ移封となるに及んで廃城となったとみられているが、
          詳細は定かでない。


       <手記>
           久米城は、佐竹宗家を支え続けた有力分家の居城であり、山入の乱の最前線にあった
          という重要性だけでなく、遺構の残存および整備状況の素晴らしさで近年注目されている
          城跡です。樹木の整理や順路・標識の設置など、整備作業は地元の有志がボランティア
          で行っているということで、感謝のひと言に尽きます。県道沿いには駐車場もあり、無料の
          オリジナル縄張り図付きパンフレットまで用意されています。
           城は大きく「西城(竜貝城)」「本城(東城)」「南城」の3つのエリアに分かれていて、それ
          ぞれ独立性は高いものの、別城一郭の体で巨大な城域を形成しています。鹿島神社の
          参道を兼ねた登城路を進むと、5分ほどで主郭下段の本殿前に到着します。本城は2段に
          削平された広めの主郭に、堀切で断絶した先端ピークの曲輪、そしてその下に雛壇状の
          多数の曲輪群で形成されています。また、東側の尾根頸部にも大きな堀切が設けられて
          いますが、この細尾根は東から峰伝いに久米城に取りつく唯一の侵入口のため、標識で
          「最大」と銘打っている立派なものです(ただ、あまり「最大」と期待しすぎると逆に、ふーん
          となってしまうかも^^;)。
           本城と南城の間には1つ小ピークの曲輪があり、その周囲三方には、二重・三重の堀切
          がこれでもかと穿たれています。いずれもかなり埋まってはいますが、中世城郭ファンなら
          これを見て興奮しないということはないでしょう。
           南城は、3エリアのなかで最も技巧的なつくりをしています。というのも、曲輪数は少ない
          のですが、土橋と喰い違いを伴う横堀が外周3分の1くらいを巡っています。他のエリアの
          造作が基本的に堀切と単純な雛壇状曲輪群の組み合わせなので、ここだけやけに技巧
          的という印象です。
           残る西城は、細長い頂部を2条の堀切で切断し、ほぼフラットな3つの曲輪とその下方に
          やはり広がる曲輪群から成っています。この3つの曲輪は、現地の標識で一の曲輪・二の
          曲輪・三の曲輪と名付けられていて、それぞれ北辺に土塁を伴っているのが特徴です。
          一の曲輪にはテレビ中継所が建てられていますが、それでも遺構の残存状況は良好で、
          建物背後には物見台といわれる広めの土塁があります。西城の先には、やはり三方を
          堀切に囲まれた北の出城と呼ばれる小ピークがあり、城域の北端を成しています。
           全体的に、山容としてはさほど険しい要害地形とはいえませんが、物見台からは山入城
          がはっきりと景色の中央に収めることができ、久米城のレゾンデートルを如実に物語って
          います。他方で、直接視認はできませんが太田城も指呼の間にあり、山入の乱における
          両家の緊張感を肌で感じ取れる、歴史的にも意義深い山城です。

           
 無料駐車場から本城を見上げる。
主郭上段。 
 主郭下段の鹿島神社本殿。
主郭下段から堀切越しに  
先端小ピークの曲輪を望む。 
 主郭背後の堀切。
本城最後尾の堀切。 
標識によれば城内最大。 
 本城主郭南麓、南城との間の小ピーク
 に向かう尾根の二重堀切。
小ピーク東側尾根先の二重堀切。 
 小ピークと南城の間の堀切群。
南城付け根の堀切。 
 南城主郭。
南城の横堀。 
 南城の喰い違い状の土橋。
南城南端の横堀および堀切。 
 本城と西城の間の堀切。
西城一の曲輪の物見台土塁。 
 物見台から北方を望む。
 中央に山入城跡が見えます。
西城二の曲輪の土塁。 
 三の曲輪の堀切と土塁。
西城斜面の雛壇状曲輪群。 


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