雲見上ノ山城(くもみうえのやま) | |
別称 : 上ノ山城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 高橋氏か | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁 | |
交通 : 伊豆急行線伊豆急下田駅らバスに乗り、 「雲見温泉」下車徒歩10分 |
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<沿革> 後北条氏重臣高橋氏の居城である。『源基氏伝帖』には、正平四/貞和五年(1349)に 足利尊氏の子基氏が鎌倉に下向したころ、高橋丹後守が雲見上ノ山城主であったという 記述がある。しかし、伊豆の高橋氏は九州の名族大蔵氏の流れを汲む高橋高種が、明応 二年(1493)の伊勢宗瑞(北条早雲)による伊豆討ち入りに従って功を挙げ、雲見に所領を 与えられたことにはじまる。高種を招いたのは堀越公方足利政知ともいわれるが、いずれ にせよ高橋氏が雲見を領したのは15世紀後半のことであり、『源基氏伝帖』の記述は信憑 性に欠ける。ただし、高種以前から城があった可能性については否定できない。 高種宗瑞の娘を娶り、高橋氏は北条一門として遇された。高種の跡を継いだ子の氏高は、 天正十八年(1590)の小田原の役で下田城に援軍として派遣された。氏高の子の高盛も 小田原城に詰めており、雲見上ノ山城は事実上放棄されたものとみられる。城で攻防戦が あったか否かモ不明である。役後、雲見上ノ山城は廃城となったものと推測される。 <手記> 雲見上ノ山城は、今では温泉街となっている雲見を見下ろす、小高い丘の上に築かれて います。集落を抜ける道沿いに網の張られた消火栓の角があり、そこから小道を登っていく と、墓地を抜けて城跡に至ります。「津波避難場所 忠八邸」とあるのが目印です。 ほぼ単郭の城で、主郭の背後に堀切などもみられず、北条一門に迎えられた重臣の居城 としては、かなり規模が小さいように感じました。水軍の城というわけでもなさそうで、高橋氏 小田原の役では顧みられなかったというのも、むべなるかなといったところでしょう。 ところが、主郭の北斜面から前方側へ、藪をかき分けつつ歩いてみると、目の前に立派な 横堀が現れました。写真では藪が邪魔で映りにくいのですが、かなりはっきりした遺構で、 思わず歓声を上げてしまいました。とはいえ規模的に実用性がどれほどあるかは疑わしく、 あるいは下田城の大改修に触れて、高橋氏が自前でついでに設けたものかもしれません。 |
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城山を望む。 | |
登り途中の削平地。 曲輪かどうかは判断の難しいところです。 |
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主郭のようす。 | |
主郭後部。堀などはみられません。 | |
横堀と土塁。 | |
横堀。 | |
北側斜面の竪堀状地形。 |