栗橋城(くりはし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 野田氏
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 東武日光線南栗橋駅徒歩20分


       <沿革>
           古河(鎌倉)公方足利家重臣野田氏の居城とされる。初代野田右馬助等忠は、『頼印大僧正
          行状絵詞』によれば熱田大宮司野田将監入道の嫡男とされるが、詳しい出自は定かでない。
          元中三年/至徳三年(1386)の小山若犬丸の乱の後に、等忠は鎌倉公方の御料所となった
          下河辺荘に入り、古河城主となった。長禄元年(1457)に足利成氏が古河城に移って古河公方
          となったことにより、野田氏は栗橋城を新たな居城としたとされる。ただし、野田氏ははじめ下野
          国の野田城に移ったともいわれ、また栗橋城に在城していたとしても、それが新規築城なのか
          以前からあったものなのか、また新規とすればいつ築いたかなど、詳細については不明な点が
          多い。
           天文二十三年(1554)、古河公方足利晴氏は北条氏康の軍門に降った。このとき、栗橋城主
          野田弘朝は逸早く北条氏に通じていたと推測されており、氏康から旧領39か村、新領10か村を
          宛がわれている。弘治三年(1557)には晴氏とその子藤氏が北条氏に謀反を企てたとして捕え
          られた。晴氏は栗橋城に幽閉され、永禄三年(1560)に元栗橋の「嶋」というところで没した。
           永禄四年(1561)に越後の長尾景虎(上杉謙信)が関東へ出兵すると、北条氏に古河公方と
          して擁立されていた晴氏の次男義氏は、居城の関宿城を脱出した。弘朝も義氏に従って落ち
          延びたが、弘朝の弟景範は長尾氏に転じたとされる。しかし、同十年(1567)までには、景範は
          再び北条氏の幕下に戻っている。ただし、従属の条件として栗橋城は氏康の次男氏照に明け
          渡され、北条氏による関宿城攻略の拠点として利用された。
           永禄十二年(1569)、北条氏と越後上杉氏との間で越相同盟が成立した際、両者の取り決め
          の1つとして、景範の栗橋帰城が成立した。だが、元亀三年(1572)に景範は再び北条氏に背き、
          栗橋城は氏照によって攻め落とされた。城は再度氏照の直轄となり、景範は義氏の下へ退いた。
           天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏は滅んだが、栗橋城で戦闘があったかなど詳細は
          不明である。役後に徳川家康が関東へ入国すると、徳川家臣の小笠原秀政が、古河城3万石の
          城主となった。秀政は、古河城を改修する間、栗橋城に寓居していたとされる。普請が終了して
          秀政が古河城へ移ると、栗橋城は廃城となった。


       <手記>
           栗橋城は、権現堂川東岸の五霞町元栗橋にありました。現在、一般に栗橋というと東北本線
          や東武日光線の栗橋駅のある埼玉県久喜市栗橋を指しますが、こちらの旧栗橋町内ではない
          ので注意が必要です。これは、江戸時代に日光街道が付け替えられ、新田として拓かれた土地
          に栗橋宿が新規に設置されたことによるものです。周辺は江戸時代初頭の利根川東遷事業の
          ために地形が著しく改変されており、権現堂川についても別のところを流れていたかなかったもの
          として、栗橋城は西の久喜市側まで城域が広がっていたとする説もあるようです。ただし、近年の
          遺構調査や古絵図の精査などの結果からは、古河城や関宿城などと同様、水を背に輪郭式に
          曲輪を配置した城であったとみられているようです。
           城跡は、大部分が川堤や宅地などに飲まれています。主城域の北東端にあたる法宣寺門前
          に説明板が設置されていますが、見るべき遺構はこの周辺に固まっています。境内西の裏手
          から北西にかけて、七曲りと呼ばれる屈曲した堀跡が明瞭に残っているほか、寺のひとつ南側
          にある旧家には、主城域東端の立派な堀が残されています。
           かつての栗橋城の規模に比べれば、こうして残っている部分はわずかですが、それでも城の
          威容を偲ぶには十分です。関宿城や古河城に比肩する拠点城であったことがうかがい知れます。

           
 説明板。
旧家脇の堀跡を望む。 
 七曲りの堀跡。
同上。 
 法宣寺。


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