櫛木城(くしき)
 別称  : 西光寺城
 分類  : 平城
 築城者: 櫛木政盛
 遺構  : 曲輪、堀跡
 交通  : 松本電鉄渕東駅徒歩10分


       <沿革>
           小笠原四天王の1人・櫛木紀伊守政盛によって寛正三年(1462)に築かれたと伝わる。
          政盛は同年に波多山城を築いた櫛木市正一俊の子で、櫛木氏は小笠原氏が信濃守護
          として入国したときからの古参の一族とされる。
           政盛以後の櫛木城および櫛木氏については詳らかでない。武田晴信が小笠原長時を
          逐った後の天文二十一年(1552)に、波多山城と共に破却されたと伝わる。


       <手記>
           波多神社から谷を挟んだ東側の、梓川右岸に築かれた城です。当時は西光寺に隣接
          していたことから、西光寺城とも呼ばれます。城跡の縁を回るように新道が通っており、
          その途中に説明板が設置されています。
           新道によっていささか旧地形が毀されているものの、東側には小字「内城巾」の沢谷が
          入り、その先は空堀状になっていました。その脇に城址碑があり、小笠原四天王云々の
          くだりが刻まれています。小字「城畑」の主郭は果樹園となっていますが、城跡の様子は
          留めているように感じました。
           説明板の地形図を見ると、主郭の東側にも曲輪が並んでいたようにも思えるのですが、
          そこには西光寺があったとされるため断言はできません。ちなみに西光寺は残っていま
          せんが、仁王門が波多神社に移築されています。また、周辺はかつて南西山中にあった
          若澤廃寺の門前町として栄えたそうで、集落内の旧街道が風情ある石畳に整備されて
          いました。
           櫛木城の存在意義は、対岸の西牧氏と対峙し、飛騨へ通じる野麦街道を確保すること
          にあったとされています。ここで、東方には同じような立地の淡路城があります。ただし、
          淡路城は春日淡路守の築城といわれ、そうであるなら天正十年(1582)以降に築かれた
          ものとみられます。すなわち、近接していて地勢的なポジションも似ているこの2つの城は、
          併存していたことがないどころか、約30年の隔たりがある計算となります。そこで個人的
          には、櫛木城と共に淡路城の前身となる城砦が築かれていたのではないかと感じている
          のですが、立証する手立てはありません。

           
 長坂上砦跡から櫛木城跡を望む
 (中央右手、谷戸状地形の上)。
櫛木城跡説明板。 
 西側、波多神社との間の谷。
小字「内城巾」の沢谷。 
 登場。
城址碑。 
 沢谷から続く堀跡。
 右手に城址碑が見えます。
郭内のようす。 
 西光寺跡と説明板。
西光寺から移築された波多神社仁王門。 
 おまけ:石畳に整備された旧門前町のようす。


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