旧二条城(にじょう)
 別称  : 二条古城、足利義昭室町第など
 分類  : 平城
 築城者: 織田信長
 遺構  : 石垣、犬走り跡
 交通  : 地下鉄烏丸線丸太町駅下車


       <沿革>
           二条城というのは、時の権力者によって何度も築き直されてきたため、広義にはいくつも存在する
          ことになるが、その最初のものである。便宜上呼称をここでは「旧二条城」とする。
           永禄十一年(1568)に織田信長に擁されて上洛を果たした足利義昭は、当初本圀寺を御座所と
          していた。しかし、翌十二年(1569)の本圀寺の変で三好三人衆らに京が襲われ危機に陥ったこと
          から、信長は本格的な義昭の城の必要性を感じ、同年に旧二条城を築いた。城は、わずか2ヶ月余
          で完成をみたといわれる。信長が義昭に献じた城であるが、当の義昭が信長に叛旗を翻すと、信長
          は元亀三年(1572)に新たな二条城を築き、義昭に対抗した。この城は後に誠仁親王に献上され、
          「二条御新造」と呼ばれた。翌元亀四年(1573)、信長は旧二条城を破却し義昭を京から追放した。
           長らく旧二条城の位置は不詳とされてきたが、地下鉄烏丸線の工事中に石垣と濠跡が発見され、
          再び脚光を浴びた。出土した石塁には、多数の石仏や石塔などが転用材として利用されおり、また
          その石組みから、「犬走り」というテラス状の防御施設が城を巡っていたことが分かった。
           さらに発掘の結果、旧二条城の範囲は、北は出水通、南は丸太町、東は烏丸通から御所に少し
          入ったあたり、西は新町通の東側と推定された。
           現在、発掘品が地下鉄東西線二条城前駅に、そして発掘された石垣が二条城に展示されている。


       <手記>
           現地には何の遺構もなく、一画に石碑が建てられているのみです。二条城を訪れれば、本丸西門
          を出た二の丸西側に、地下鉄工事中に発見された石垣を移築したものが復元展示してあります。
           破却の経緯を考えれば当然のごとく、かなり朽ちた感じの石垣ですが、犬走りがはっきりと見て取
          れるので、なかなか興味深い遺構でした。


           

 二条城内に移築、展示されている旧二条城石垣。
 石垣が二段に分かれ、その間に犬走りが設けられている。
平安女学院角に立つ旧二条城跡の石碑。 


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