二条城(にじょう)
 別称  : 二条新御所
 分類  : 平城
 築城者: 徳川家康
 遺構  : 御殿群、櫓門、石垣、水濠など
 交通  : 地下鉄東西線二条城前駅、
       またはバス二条城前停留所下車


       <沿革>
           今日に残る二条城は、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康によって慶長七年(1602)に築かれた。
          当初は今の二の丸東側のみの単郭式の城郭で、北西隅に五層の天守が上げられていた。家康は
          この城で翌八年(1603)に征夷大将軍に任じられ、同十六年(1611)には豊臣秀頼と会見した。
           豊臣家が滅亡して徳川政権が確立されると、3代将軍徳川家光によって寛永年間(1624〜43)に
          大規模な拡張工事が行われた。このとき既存の天守は淀城に移され、代わりに伏見城の天守が
          二条城に移築されたといわれている。
           寛永年間の拡張によって現在の縄張りとなったが、天守は寛延三年(1750)に、また本丸御殿も
          天明八年(1788)に焼失し、以後再建されることはなかった。
           家光以降、二条城は14代家茂の入城まで将軍が使用することはなく、その間は二条在番役や
          二条定番が待機するのみであった。慶応三年(1867)には、15代将軍徳川慶喜による大政奉還の
          舞台となったことで、一躍歴史の表舞台に復活することになった。


       <手記>
           二条城には中学生の修学旅行以来何度か来ていますが、この記事を書いた2007年に、とうとう
          真向かいに立つ京都国際ホテルの「城側」ルームに泊まってしまいました。朝の眺めは最高なの
          ですが、難点は西日がモロに直射してきて、夕暮れ時は部屋に居ていられないことです。
           二の丸御殿はいつ行ってもその規模に圧倒されます。おそらく日本最大級の御殿建築でしょう。
          また御殿だけでなく、新政府軍に真っ先に接収されたにもかかわらず、諸門や諸櫓が良好な形で
          残されているのも、眼福というべきでしょう。
           二条城は少なくとも初めて京都を訪れた人にとっては外せない名所でしょうから、私があまり多く
          をここで語る必要はないように思います。

           

 東大手門。
二の丸御殿唐門。 
 二の丸御殿車寄と遠侍。
升形の前面に立つ珍しい形式の本丸東門。   
 本丸天守台。
  京都国際ホテルからの眺め。  


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