大膳館(だいぜん)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 石母田宗頼か
 遺構  : 不詳
 交通  : 秈荷神社(鼎館跡)より徒歩5分


       <沿革>
           伊達家臣・石母田大膳宗頼の居館跡とされる。宗頼は、天正十八年(1590)に伊達政宗が
          旧葛西・大崎領に転封となった際、米谷城2千石を与えられた石母田景頼の養子(娘婿)で
          ある。
           元和二年(1616)、宗頼は胆沢郡水沢4千石に加増・転封となり、入れ替わりで柴田宗朝が
          米谷領主となった。その後の大膳館については不明である。


       <手記>
           大膳館は北の米谷城と南の鼎館に挟まれた、三つ又の中央の峰にあります。南側の谷を
          登る軽トラ道沿いに標柱があり、それによると発掘調査が行われ、先史の遺物は数多く出土
          しているものの、館跡につながるようなものは見つかっていないようです。
           現状は畑地で、『日本城郭大系』には「腰郭状の段々がみられる部分がある」とありますが、
          どこのことかは分かりませんでした。米谷城や鼎館と異なり、峰のやや奥まった箇所にあって
          要害性に乏しく、おそらくは役所や根古屋等の施設が設けられた程度ではなかったかと推察
          されます。

           
 大膳館遺跡標柱。
大膳館跡周辺現況。 


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