松尾古城(まつおこ)
 別称  : 松尾城
 分類  : 山城
 築城者: 真田氏
 遺構  : 曲輪、石積み、堀
 交通  : 上田駅よりバス。横沢バス停下車徒歩20分

       <沿革>
           享保十八年(1733)成立の『滋野世記』によれば、海野棟綱の子幸隆(幸綱)が
          真田庄松尾城に拠り、真田氏を称したとされる。ただし、応永七年(1400)の大塔
          合戦に際し、禰津遠光の配下として「実田」の名があり、真田氏の初出とみる向き
          が強い。このことから、真田氏は海野氏と同じ信濃の名族滋野三家の1つ禰津氏
          の庶流として、大塔合戦以前に成立していたものと考えられている。
           いわゆる真田の郷と呼ばれる上田市旧真田町域には、2つの松尾城が存在して
          いる。今日では、このうち西のものを真田本城、東のものを松尾古城と呼び習わす
          のが一般的であるが、『滋野世記』にいう松尾城がどちらを指すのかは意見が分か
          れている。ただし松尾古城については、山麓に真田氏の墓所とされる日向畑遺跡
          があることなどから、幸隆以前に築かれていたとみられている。
           一次資料にはみられず、松尾古城の詳しい動向は不明である。


       <手記>
           松尾古城は神川と角間川に挟まれた山稜の細尾根に築かれています。上田平
          背後に広がる真田町の盆地地形の、上州側の最奥近くに位置しています。南麓に
          日向畑遺跡があり、ここから登山道が伸びています。
           細く切り立った尾根をとにかく登っていくと、平石を積んだ石塁が見えてきます。
          そこから4〜5段ほど削平地が続き、ところどころ同様の石塁が残っています。立派
          な石積みですが、堀や虎口などの造作はみられず、少なくとも真田昌幸が上田城
          を築いて以降は手が入っていないように感じます。
           曲輪群を抜けた後はしばらくまた登りが続き、やがて主郭に到達します。主郭は
          石塁にぐるりと囲まれていて壮観です。背後には最後尾を断ち切る大きな堀切が
          あり、その先は自然地形です。ですが、ここからさらに比高350mほど登ったところ
          には遠見番所があります。尾根筋をたどるだけなので迷うことはありませんが、
          しんどいの一言なので行くかどうかは気持ちひとつです^^;
           「松尾城」は一般に真田氏発祥の城とされ、この松尾古城がそれに充当するか
          否かが論点となっています。是とみる意見は、山麓居館跡に比定されている日向
          畑遺跡から、室町時代のものとみられる宝篋印塔6基と五輪塔11基が見つかって
          いることを論拠としているようです。すなわち、6人分ということは幸隆以前の真田
          氏当主のものが含まれているはずだ、ということのようです。ただ、現地説明板を
          見る限りではこれらの墓が真田氏のものであるという確証はなく、館跡の遺構も
          現状では検出されていないようです。
           狭義の「真田」という地名はむしろ真田本城の麓にあり、松尾古城からはやや
          離れています。真田の盆地の最奥にあって発展性にも乏しく、個人的にはここが
          真田氏の居城であったとはどうにも思えません。

           
 松尾古城を望む。下の鉄塔裏手の緑が多いあたり。
 その尾根筋の最上部が遠見番所。
曲輪群最下部の石塁。 
 削平地と石積み跡。
曲輪群の1つ。 
 馬場と呼ばれる曲輪。
曲輪群に残る石塁。 
 主郭のようす。
主郭の石塁その1。 
 その2。
主郭背後の堀切。 
 堀切から続く竪堀。
山麓居館跡に比定される日向畑遺跡。 


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