真田本城(さなだほん) | |
別称 : 松尾城、真田山城、真田氏本城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 真田氏 | |
遺構 : 曲輪跡、土塁 | |
交通 : しなの鉄道/上田交通/長野新幹線上田駅よりバス 「長小前」バス停下車徒歩20分 |
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<沿革> 史料上には真田本城という呼び名はみられず、真田氏の詰城、あるいは真田郷を囲むように 点在する城砦群の中心的な城という意味での通称である。別称ないし旧称として松尾城と呼ば れるが、真田本城の北東にも松尾城があり、こちらは当城と区別するために松尾古城と呼称 されている。 天文年間(1532〜55)に真田幸隆(幸綱)によって築かれたと伝えられるが、確証はない。 幸隆は、永正十年(1513)に松尾城内で誕生したとも伝えられている。この松尾城が真田本城 と松尾古城のどちらを指すのか不明であるが、伝承が正しく松尾城が真田本城であるとすると、 幸隆生誕以前にすでに存在していたことになる。また、幸隆によって築かれたとする場合も、 天文十年(1541)の海野平の戦いで真田氏が所領を逐われる以前なのか、同二十年(1551) に幸隆が戸石城を奪取して真田郷を回復して以降なのかという疑問が残る。 いずれにせよ、幸隆・信綱・昌幸と3代にわたり、真田本城は真田氏の詰城であったと考え られている。天正十一年(1583)に昌幸が上田城を築いて居城を移すと、真田本城は詰城と しての使命は終えたものと思われる。ただ、慶長五年(1600)の第二次上田合戦で戸石城が 支城として使われているため、真田本城もこのときまでは存続していた可能性も考えられる。 <手記> 真田本城は、真田郷に向かって西から突き出た舌状の峰に築かれています。北には神川の 谷、南西には真田氏の居館真田氏館の建つなだらかな斜面が広がっています。城へは南側 の峰の付け根まで車道が通っているので、車で訪れるのが便利です。駐車スペースの脇には 山水が湧きだしていて、水源の豊かな城であったものと推測されます。 縄張りとしては、最頂部の主郭から北に二の郭、三の郭と曲輪を連ね、その周囲に小曲輪 群を配しています。他方で、堀については明確なものがみられず、真田氏の他の拠点城郭と 比べるとやや原始的な印象を受けます。詰城といっても、戦闘となれば真田本城より戸石城 に詰めることを想定していたものと推測されます。 城からは真田郷全体が見渡せ、上田平から一歩入った隠れ里のような地形が、手に取る ように分かります。天気が良ければ、戸石城の向こうに北アルプスを望むこともできます。 |
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真田本城址入口。 | |
主郭下の城址碑と主郭の櫓台土塁。 | |
主郭内部と櫓台。 | |
主郭のようす。 | |
三の郭から二の郭を望む。 | |
真田氏館方面を望む。 中央のこんもりした林が館跡。 |
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真田本城址から戸石城址を望む。 |