御門城(みかど)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長尾景忠
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : JR高崎駅よりバス。
       「岐島屋前」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           長尾景忠によって築かれたとされるが、築城年代については不明である。長尾氏のなかに
          景忠という人物は複数いるが、御門城を築いた景忠が長尾氏の系譜上どこに位置する人物で
          あるのかは、詳らかでない。著名なものには、南北朝時代に山内上杉氏家宰を務め、越後・
          上野守護代に任じられた左衛門尉景忠がある。この景忠が御門城を築いたとすれば、御門城
          は蒼海城白井城へ移る前の長尾氏の居城であったということになる。
           長野氏が勢力を拡大すると、箕輪城の支城として機能したとされる。その頃の城主について
          は明らかでない。永禄九年(1566)に箕輪城が落ち、長野氏が滅亡すると、御門城も廃城に
          なったと思われる。


       <手記>
           御門城は、烏川の支流が南側を流れる細長い舌状台地を利用して築かれた城です。主郭と
          思われる曲輪には、景忠寺と本郷保育園があります。以前は寺の周囲に土塁がめぐっていた
          ようですが、保育園の建設に伴い消滅したようです。
           寺の南麓に城址標柱が建てられています。その脇の寺へ登る道は、おそらく堀底道であると
          思われます。その他の遺構は、明瞭ではありません。
           非常に細長い台地であるため、主郭も手狭な感じがします。その証拠に、普通寺社が経営
          する保育園は寺の境内とは一応切り離して作られるものですが、本郷保育園は景忠寺の境内
          いっぱいに建てられ、むしろ保育園の中に寺があるように見えます。


           
 御門城址標柱。
主郭跡の景忠寺。 


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