藤井城(ふじい)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 松平利長
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄西尾線南桜井駅よりバスに乗り、
      「藤井東」下車徒歩5分


       <沿革>
           安祥城主松平長親の五男利長は、15世紀前葉に藤井城を築いて藤井松平家を興した。
          南の吉良氏への対抗拠点であったとされる。
           利長の子の信一は一貫して松平宗家を支持し、徳川家康に仕えて数々の戦いで軍功を
          挙げた。とくに、永禄十一年(1568)に織田信長が上洛を図った際には援軍として送られ、
          観音寺城の戦いで箕作城の本丸一番乗りを果たし、信長から直接賞賛された。
           天正十八年(1590)に家康が関東へ移封となると、信一も下総国布川5千石に移された。
          藤井城はこのときに廃されたものとみられる。


       <手記>
           上の地図に示した緑点の位置に石碑と説明板、そして藤井秋葉神社があります。それ
          以外に、城跡にちなむものはとくにありません。
           すぐ南を矢作川が流れていますが、藤井から西は江戸時代初期に付け替えられた流路
          で、今日の矢作古川が当時の本流でした。したがって、藤井城は矢作川がほぼ直角に
          カーブする外側の河岸台地上にあったことになります。また、現在と異なり吉良氏領とは
          地理的に大きな障害はなく、ほとんど地続きだったと思われます。
           面白いのは、三河一向一揆の本拠となった本證寺まで、歩いて15分程度と至近距離に
          あることです。信一は一向一揆鎮圧でも活躍したとされていますが、こんな目と鼻の先に
          敵の根城があっても、そう簡単には落とせないものなのかな、と。

           
 藤井城址碑。
説明板と城址碑、そして藤井秋葉神社。 


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