三日防館(みっかぼう)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 安倍氏か
 遺構  : 曲輪、土塁
 交通  : JR石巻線・仙石線石巻駅から車で15分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、前九年の役に際して安倍貞任がここに籠り、3日防いだものの、
          ついに敗れたとある。ただし、戦いを裏付ける証拠はなく、詳細は不明である。


       <手記>
           真野川の氾濫原に突き出た小丘が三日防館跡です。北東には同様の立地の水沼古館が、
          南西には高木古館があり、周辺は城館の密集地帯となっています。
           北の切通し道から丘へよじ登ると、はじめは藪ですが、やがていくらか歩きやすい雑木林に
          なります。まもなく浅い堀底道が現れますが、城館に伴う遺構かは不明です。また、丘の中途
          には小さな神社があり、その鳥居前にあたる南東斜面にははっきりとした数段の段築地形が
          見られるのですが、やはり遺構なのかどうかは判断に窮します。
           確実な城域は丘の南端の頂部付近で、浅い土塁で少なくとも2段に削平されいてる様子が
          うかがえます。主郭とみられる区画は荒れ果てて倒木だらけとなっており、さらに現在進行形
          でミシミシと木が倒れてきそうな音が響き渡っていたため、大事を避けてそれ以上奥へは入り
          ませんでした。
           3日防いだから三日防館ということですが、私の見た限りとてもこの小城で3日間の攻防戦は
          できないように感じます。また、南東の京ヶ森館などにも安倍貞任が籠もったという言い伝えが
          ありますが、そんなに長々あちこちで貞任が戦っていたなら、さすがに史書にも記録が残って
          いると思われるので、これも信憑性は薄いといわざるを得ないでしょう。高木古館や鷲ノ巣館
          異なり段築を設けただけの単純な構造をしていることから、普通に葛西家臣の館城であったと
          拝察されます。

           
 南西から三日防館跡を望む。
主郭のようす。 
 主郭手前の段築状の土塁。
同土塁。 
 丘の中途にある小さな神社。
鳥居前の斜面の段築。 
遺構かは不明です。 
 同上。
神社北側の堀底道状地形。 
やはり遺構かは分かりません。 


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