池田城(いけだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 池田浄蓮
 遺構  : なし
 交通  : 養老鉄道美濃本郷駅徒歩20分


       <沿革>
           池田町草深に鎮座する八幡神社の由緒によると、15世紀中ごろに池田浄蓮右馬次郎が
          草深上連馬に池田城を築いて居住したとされる。美濃池田氏は摂津池田氏から分かれた
          池田泰継を祖とするとされるが、裏付けはない。
           美濃池田氏や、国枝氏、稲葉氏の菩提寺である池田町本郷の龍徳寺は、摂津池田氏の
          祖・池田教依が14世紀中ごろに中興したと伝えられる。また同寺には、織田信長の乳兄弟
          として仕えた池田恒興と長男元助の墓がある。恒興の父・恒利を美濃池田氏の出身とする
          説もあるが、確証はない。事実であれば、江戸時代の大名池田家の故地ということになる。


       <手記>
           岐阜県の遺跡地図ではバロー南西の杭瀬川に架かる橋から東側一帯を池田城跡として
          います。川の東側沿いに建つ民家は小字を「丈連馬」というそうで、「上連馬」に連なる傍証
          といえるでしょう。そもそも当時の杭瀬川の流路が分からないので、あるいは城域の多くが
          川底に没している可能性も少なくないと思われます。
           現地には遺構はもちろん案内などもありません。城跡とは関係ありませんが、橋の袂には
          「彼岸花の里」という幟が立っていて、なるほど河川敷や田んぼ沿いに彼岸花の赤いライン
          がきれいでした。ここにかぎらず揖斐川沿いの平野にはそこかしこに彼岸花の群生があり、
          遺構もないのでできれば秋口に訪れるのがよいかと思います。
           さて、龍徳寺には摂津池田氏当主が再興したという縁起が残り、また大名池田家の祖とも
          いえる池田恒興の墓もあります。後者については、賤ヶ岳の戦いの後に恒興が大垣城主
          なっているので、その縁で美濃池田氏に仮託したとも考えられるでしょう。前者については
          伝説の域を出るものではなく、正直、摂津に土着したばかりの池田氏が美濃まで出張って
          くるものか疑問に思います。池田浄蓮以外の美濃池田氏の動静が不明であり、15世紀後半
          には国枝為助が本郷城に拠って龍徳寺を中興していることから、美濃池田氏はそれまでに
          衰退していたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

           
 池田城跡比定地周辺現況。
同上(杭瀬川)。 
 おまけ:見ごろの彼岸花。


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