御嵩城(みたけ)
 別称  : 権現山城、旧御嵩城
 分類  : 山城
 築城者: 小栗氏か
 遺構  : 土塁、削平地、堀切
 交通  : 名鉄広見線御嵩駅徒歩40分


       <沿革>
           現地の説明によれば、小栗信濃守が御嵩本陣山城に移るまで居城としていた。
          天文二十一年(1551)、信濃守は土岐郡の高山城を攻略しようと図ったが、小里氏
          や遠山氏(信州の軍勢とも)の加勢に逆襲され、逆に本陣山城を攻め落とされた。
          信濃守は自害または敗死し、権現山の御嵩城も落ちたものと思われる。
           小栗氏自体はその後も存続したらしく、織田信長が美濃に進出すると逸早く臣従
          し、金山城主に任じられた森可成に従った。
           岩村城を落とした秋山信友ら武田勢が東濃地域を席巻すると、御嵩の諸城は対
          武田の最前線となった。廃城期間は明らかでない。


       <手記>
           御嵩城は、御嵩の町から可児川を挟んだ小山の上にあります。本丸と出丸の2つ
          の峰を堀切や土橋で区切った簡単なものですが、それぞれの峰は独立して急峻な
          ため、小城ながらまとまった構造をしています。
           御嵩町では、公園化され駅前からも目立つ本陣山城を「御嵩城」、権現山城の方
          を「旧御嵩城」と呼称しています。ただし、手元の資料では総じて権現山城を御嵩城
          としているため、当サイトではこちらに準じています。
           時間の都合上、駅前からタクシーを利用したのですが、「権現山」と言っても通じま
          せんでした^^;「金峰ふれあいの森」といってなんとか通じるかもしれないという程度
          の、地元でも認知度の低い城跡です。


           
 本丸の様子。
二つの峰を仕切る堀切と土橋。 
 出丸の様子。


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