本陣山城(ほんじんやま)
 別称  : 御嵩城
 分類  : 山城
 築城者: 小栗信濃守
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : 名鉄広見線顔戸駅徒歩30分


       <沿革>
           現地の案内によれば、小栗信濃守が天文年間(1532〜54)に築き、それまでの居城
          権現山城から移ったとされる。同二十一年(1551)、信濃守は土岐郡の高山城を攻略
          せんと目論んだが、小里氏や遠山氏(信州の軍勢とも)の加勢に逆襲され、逆に本陣
          山城を落とされてしまった。
           このとき、信濃守は自害または戦死し、その娘も本陣山城の断崖から身を投げたと
          される悲譚がある。落城後も小栗氏自体は存続したようだが、詳細は不明である。
           小栗氏は、美濃に進出した織田信長に逸早く臣従し、金山(兼山)城主に任じられた
          森可成に従った。岩村城を落とした秋山信友ら武田勢が東濃地域を席巻すると、御嵩
          の諸城は対武田の最前線となった。
           廃城期間は明らかでないが、織田氏が東濃を回復し前線としての機能を全うした後
          か、森氏が海津城へ移封されたころと推測される。


       <手記>
           駅前や町内のいたるところから見える不思議なモニュメントのおかげで、一発でその
          山と分かる城跡です。展望台も兼ねたこの謎のモニュメントは、夜間にはライトアップも
          されるそうです。一方でこの公園化のために、城の遺構を見出すのはだいぶん困難な
          状況に陥っています。
           公園の駐車場や、御嵩町中心街の「中山道みたけ館」には、本陣山城はじめ町内の
          城の縄張り図が展示されています。いずれも少々誇張があるようにも思いますが、もし
          そこまで差がないとすれば、かなりの遺構が公園化に伴って破壊されてしまったことに
          なります。
           なお、御嵩町では本陣山城を「御嵩城」、権現山城を「旧御嵩城」と呼称しています。
          手元の資料では総じて権現山城を「御嵩城」と記載しているので、当サイトでもこちらを
          単に本陣山城としています。


 御嵩城から本陣山城を望む。
駐車場より、本城域近望。 
 本丸の様子。


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