水垂城(みずたれ) | |
別称 : 水垂築山城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 築山氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : 京阪本線淀駅徒歩20分 | |
<沿革> 山本正男「京都市内およびその近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所調査報告 第53号』)では、西岡衆のひとり築山氏の城館と推測している。かつて近くに築山氏の墓地 があったこと、築山氏が仕えていた細川家の『山城国西岡御領知之地図』に、勝龍寺城の 北東に「築山村」の記載があることを論拠としている(ただ、水垂城址は勝龍寺城の南東に 位置しているため、「北東」は「南東」の誤りか)。 築山氏については、永禄十一年(1568)に織田信長が足利義昭を奉じて上洛したときに、 勝龍寺城を攻めた細川藤孝らを築山市正なる人物が援護したことが、『細川家記』にみら れる。 しかし、水垂城と築山氏を結びつける確証は得られていないといえる。また、西岡の北方 には築山城があるが、この築山城と築山氏、ひいては水垂城との関係も不明である。 <手記> 水垂城は桂川河岸にあったとされていますが、河川改修によって河川敷もろとも地形が 多分に改変されていて、跡形もありません。 かつては四周を堀に囲繞された区画があり、「構口」から転訛したものと推測されている 「神口」なる小字が残っていたそうです。 |
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水垂城址周辺現況。 |