守屋山城(もりやさん)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 笠原氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR飯田線伊那市駅からバスに乗り、
      「笠原口」下車徒歩30分


       <沿革>
           蟻塚城の詰城として築かれたと考えられている。蟻塚城主は、諏訪氏の庶流と伝わる
          笠原氏とされているが、蟻塚城・守屋山城ともに築城・廃城の経緯はわかっていない。
          笠原氏は応永七年(1400)の大塔合戦までには成立し、文明十四年(1482)の文明の
          内訌以降は記録がみられない。


       <手記>
           蟻塚城跡に鎮座する御射山神社から主郭の裏手に回ると守屋山城への案内が出て
          いるので、それに従って登れば迷うことはありません。土塁や腰曲輪が散見される山道
          を辿り、まずは主郭北方の尾根に出ます。そこから北側先端方面に行くと、城の北限と
          思われる二重堀切があり、主郭側は数段の削平地となっています。その先は、副郭と
          みられる曲輪とその前後の堀切を経て、主郭に至ります。
           南側の尾根は、規模の大きな主郭下の堀切と土橋を越えて、緩やかな斜面に小規模
          な堀切と曲輪の組み合わせが続きます。構造は単純ですが、終わりの見えない曲輪群
          の景観は圧巻ともいえます。
           残る峰続きの北東尾根には、4本の堀切が認められます。そのうち、主郭側の2本は、
          下方で合流して1本の竪堀となっています。
           全体の感想として挙げられるのは、笠原氏の独力では規模が大きくてとても守りきれ
          ないだろうという点です。少なくとも最終的な改修者は武田氏か、あるいは武田信玄に
          結束して抵抗した際の伊那衆と考えられます。伊那平の入口に位置し、また2本の堀切
          が1本の竪堀に合流するという技法は、宮田城などにも見られることから、私は後者の
          可能性も十分あるように思っています。

           
 守屋山城跡を望む。
 画面中央付近は蟻塚城跡。
蟻塚城主郭背後の堀切。 
守屋山城への登山口です。 
 登山途中にみられる土塁状地形。
同じく腰曲輪。 
 主郭北方尾根筋に出たところ。
そこから主郭方面を望む。 
削平地が連続しているようにみえます。 
 北方先端側の二重堀切。
副郭北側の堀切と土塁。 
 同堀切。
主郭と副郭の間の堀切。 
 主郭の土塁。
主郭のようす。 
 主郭南方下の堀切と土橋。
同堀切が竪堀となって落ち込むようす。 
左方も横堀状に切れ込んでいます。 
 南方尾根の堀切と腰曲輪が続くようす。
さらに続くようす。 
これでもかと続きます笑。 
 北東尾根1条目の堀切。
2条目と3条目の堀切。 
 1条目と2条目の堀切が合流して
 1本の竪堀となるようす。
4条目の堀切。 
 おまけ:主郭に咲いていたギンリョウソウ。


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