元小木城(もとおぎ)
付 小木城
 別称  : 小木古城、弁天久保城
 分類  : 平山城
 築城者: 本間氏か
 遺構  : 堀、土塁、削平地
 交通  : 小木市街または羽茂市街からバスに
      乗り、「矢島入口」下車徒歩5分


       <沿革>
           『日本城郭大系』には、元小木城については羽茂城の属城で「城主は風間氏か」、
          小木城については羽茂本間氏に属した村殿の城としている。さらに、小木城の廃城
          時期を天正十七年(1589)としている。越後の上杉景勝が兵を出して佐渡を平定した
          年に当たるが、論拠は明らかでない。


       <手記>
           景勝地でたらい船の体験もできる矢島・経島の裏手の丘が元小木城です。海潮寺
          の墓地が二の丸と思われ、先端側に空堀が、境内側に堀と土塁の痕跡が認められ
          ます。先端側の空堀は鉤字に折れているように見受けられ、戦国時代中後期あたり
          まで使われていた可能性も十分にあると思います。その先はほったらかしの竹藪で、
          冬場ならなんとか頑張れたかもしれませんが、秋口のこととてさすがに断念しました。
           同じ台地の東端の弁天崎には、いわゆる中世の小木城があったとされています。
          現状は民家の奥の畑地となっているようで、自由な立ち入りは困難とみられ、こちら
          も訪城は断念しました。
           元小木城の付け根の海潮寺には、鎌倉時代前期の承久の乱で配流となった順徳
          上皇が、都から取り寄せ桜の1本とされる「小木の御所桜」があります。事実とすれば
          その当時すでに元小木が開発されていたということになると思われ、城の前身となる
          館施設が存在していたと考えられます。
           佐渡守護代として土着した本間氏もまた、承久の乱を機に入部したとされ、分家の
          1つ羽茂本間家の庶流に木野浦本間家があったとされています。海潮寺境内には、
          この木野浦本間家の館があり、矢島・経島の入り江に港を開いていたのではないか
          とも拝察されます。
           後に内ノ澗に港が移ると、小木(古)城の対岸の陸繋島に浮亀城が築かれ、3城
          で広義の小木城を構成していたのではないか、と個人的に考察しています。

           
 墓地先端側の空堀。
同上。 
 墓地境内側の堀と土塁の痕跡。
海潮寺境内の御所桜。
 小木(古)城方面を望む。


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