小木港役屋(おぎみなと) | |
別称 : 浮亀城、城山陣屋、小木古城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 本間氏か | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : 佐和田市街または真野市街からバスに 乗り、「小木」下車徒歩5分 |
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<沿革> 中世に羽茂城の支城があり、海の上に浮かぶ亀のような様相から浮亀城と呼ばれて いたとされる。 慶長九年(1604)、佐渡代官大久保長安の家臣原土佐守が小木代官として派遣され、 当初は小木城跡に代官所が置かれた。江戸時代中期の編纂とされる『佐渡古実略記』 には、長安が羽茂城の材木で城山に陣屋を建てたとある。一方、同時期に書物とされる 『佐渡風土記』には、元和五年(1619)に「小木古城造作」とある。前者にしたがえば、 城山の陣屋は長安が病死する慶長十八年(1613)までに建造されたことになるが、後者 に拠るなら、同十八年(1614年)に幕府直轄港として内ノ澗に新しく小木港が開かれた 後の築造ということになる。 役屋の廃止時期について、『佐渡風土記』には寛永十二年(1635)に「小木古城掃地 に成られ候」とあり、『佐渡古実略記』には正保年中(1645〜48)に麓の木崎神社神官 畠山政之進が城山の敷地を買い受けたとする記述がある。したがって、寛永十二年に 廃止・解体となったものと推察される。 <手記> 小木の港を特徴づける陸繋島が城山と呼ばれており、近世の陣屋の建物はこの台地 上に広範囲に広がっていたとみられています。今では、公園の大部分はゴルフ場のよう にきれいな芝が貼られていて、その周囲に点々と土塁の痕跡が見られます。 『日本城郭大系』では、中世城郭の遺物が出土しなかったということから、中世城館は 存在しなかったと結論付けています。ですが、もし中世に「浮亀城」と雅称される城館が あったとすれば、その名にふさわしい地形はこの陸繋島を置いてほかにありません。 木崎神社裏手から城山公園に上り、案内図右手から台地縁に沿って遊歩道が延びて いて、その先にはコの字型の土塁と堀跡が認められます。台地全体を利用したのでは なく、台地の縁に崖端の城を築いたのだとすれば、中世の小木古城がこの地にあった とする可能性は十分に考えられるでしょう。なによりコの字型遺構の周辺は藪がひどく、 この場所は発掘調査の範囲外だったと推察されます。 私見としては、元小木城が周辺では最も古く、当時の港は今の矢島・経島の入り江に あり、戦国期ごろにはすでに内ノ澗が開かれ、港湾監視の城として小木城や浮亀城が 築かれたとするのが、自然な流れではないかと考えています。 そのようなわけで、個人的には『大系』の「小木港役屋」という見出しや佐渡市の遺跡 地図にある「城山陣屋」の呼称には違和感を覚えています。とはいえほかに周知された 呼び名もないようなので、致し方なくここでは『大系』に依拠しています。 |
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コの字を形成する土塁跡。 | |
同じく堀跡。 ここまでは、中世浮亀城の遺構と思われる部分。 |
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城山公園内の土塁。 ここからは近世陣屋のものと思われる遺構。 |
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同じく土塁の痕跡。 | |
門跡と土塁。 |