百足城(むかで) | |
別称 : 垣内山城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 向氏 | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁、虎口 | |
交通 : JR高山本線飛騨古川駅徒歩20分 | |
<沿革> 江戸時代中期に編纂された『飛州志』に記載があるが、当時すでに「来由未詳」とされ ている。 一説に、姉小路高綱の隠居城とされる。高綱は、姉小路三家の1つで小鷹利城主と なった向宣政の父ともいわれるが、確証はない。また、同じく三家の1つである古川家の 姉小路済俊の弟・田向重継と同一人物とする説もある。 <手記> 宮川を見下ろす小丘上の城で、現在は高野公園となっています。西側の峠の新道脇 に車を止めれば、簡単に登れます。 城は南北2つの小ピークから成っていて、北側が主郭とみられます。主郭は櫓台状の 土塁を伴った平場で、実際に櫓が建っていたというよりは、物見台や烽火台として使用 されていたものと思われます。堀切を挟んだ南峰にも削平地があり、その先は浅い堀と 小さな腰曲輪が付属しています。 全体としては小規模な砦といった感じで、少なくとも丘上に住むということは考えられ ず、隠居城という雰囲気はありません。もし高綱が宣政の父であれば、高綱の死後に 後見の牛丸重親が若年の宣政を逐っていることから、そもそも隠居をしていたとは考え にくいように思います。よしんばしていたとしても、古川家出身で向家も継いでいたので あれば、小鷹利城を宣政に預けて自身は古川城に住めばよいはずです。 印象としては、やはり古川城の出城とするのが妥当ではないでしょうか。また、古川城 の北に位置することから、時期的には姉小路三家が相争い、古川家が勢力を拡大した 15世紀後半から16世紀前半ころの城ではないかと、個人的に推測しています。 |
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百足城南峰を望む。 | |
同じく北峰を望む。 | |
北峰の主郭跡。 | |
主郭に付属する櫓台状の土塁。 |
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両峰の間の堀切。 | |
南峰の削平地。 | |
南峰先端側の堀と腰曲輪跡。 |