流山陣屋(ながれやま)
 別称  : 本多藩陣屋
 分類  : 平山城
 築城者: 本多正訥
 遺構  : なし
 交通  : 流鉄流山駅徒歩5分


       <沿革>
           文久三年(1863)、田中藩主本多正訥は、飛び地である下総国加村に陣屋を建設した。
          慶応四年(1868)四月一日、新撰組の近藤勇・土方歳三らが流山に結集したが、このとき
          すでに正訥は新政府に恭順していた。近藤は町内の長岡七郎兵衛宅を本陣と定めたが、
          翌日には新政府軍に捕縛された(出頭したとも)。
           同年七月、正訥はそれまでと同じ4万石のまま上総・安房国内に転封となった(長尾藩)。
          これにより、陣屋としての役割は幕を閉じたが、翌明治二年(1869)に葛飾県が設置される
          と流山陣屋はその県庁として転用された。明治四年(1871)に成立した印旛県においても
          県庁として存続したが、同六年(1873)の統合によって千葉県が誕生すると、庁舎としての
          役目も終えて廃された。


       <手記>
           南から北に向かって緩やかな舌状地形を成していますが、幕末に陣屋が建てられるまで、
          とくに城館らしきものが営まれていた様子はないようです。
           現在は市立図書館と市立博物館となっており、とくに遺構はありません。敷地内に「葛飾
          県印旛県史跡」の碑があり、裏の碑文に陣屋について触れられています。
           資料館内展示の県庁跡旧図によれば、博物館と市役所の間の県道278号線のラインが
          県庁の南辺だったとされ、正門があったようです。あるいは陣屋時代に堀などが設けられて
          いたのかもしれません。

           
 「葛飾県印旛県史跡」の碑。
陣屋跡の丘を見上げる。 
 県庁の南辺とされる県道278号。


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