中島土居(なかじま) | |
別称 : 中島城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 中島俊高か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR土讃線土佐大津駅徒歩20分 | |
<沿革> 長宗我部氏重臣中島氏の土居城(館城)である。中島氏は、長宗我部氏7代兼光の弟俊高にはじまる とされる。 戦国時代、中島大和守親吉は長宗我部国親・元親父子に仕え、多大な信頼を得ていた。親吉は元親 の命によって秦泉寺城の城監となり、本山氏滅亡の際には本山城代に任じられた。 天正十五年(587)、元親が大高坂城への移転を図ると中島氏もこれに従い、大高坂城下に屋敷地を 得た。このころまでには、中島土居はその役目を終えていたと思われるが、詳細は不明である。 <手記> 岡豊城向かいの国分川の氾濫原にあり、要害性はとくにありません。すぐ近くには同じく長宗我部氏 重臣の中内氏の土居もあり、周辺は長宗我部家臣団の根小屋であったものと推測されます。 現在、中島土居周辺は宅地化され遺構はみられません。ただ、道路脇に城八幡と思われる社と古木 があり、碑などはないものの、土居跡のよすがは感じられます。 |
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中島土居現況。 |