中根城(なかね)
 別称  : 小金城
 分類  : 平山城
 築城者: 千葉氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR常磐線/流鉄馬橋駅徒歩5分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、中根城内に鎮座する妙見社は、南北朝時代の千葉氏当主
          千葉貞胤が背負ってきた妙見菩薩像を安置したことに始まるとされる。地元の伝承では、
          貞胤は正平三/貞和四年(1348)の四条畷の戦いの後に一旦帰国し、馬橋の小金屋敷
          に立ち寄ったが、荒廃して住むにも耐えない状態であった。これを見た付近の農夫が、
          松の枝を3本折って重ね、貞胤をもてなした。農夫は後に三枝松の姓を賜り、明治の初め
          まで三枝松氏が妙見社の祭礼の開扉の役を担ったとされる。ただし、小金屋敷について
          は一般的に馬橋城の前身とされており、この伝承からは中根城そのものがすでに存在
          したか否かはわからない。
           中根城址南東の字新作にある安房須神社の縁起によれば、中根城は小金城の出城
          として高城氏によって築かれたもので、新作は城兵が平時に農業を営んだ根小屋集落
          であるとしている。城主は不明だが、天正十八年(1590)の小田原の役で高城氏が没落
          すると、城兵はそのまま新作に土着したとされる。


       <手記>
           中根城は、南から細長く緩やかに伸びる台地の先端にあり、西側は江戸川および坂川
          の氾濫原、北には馬橋の地名の由来となった橋の架かる中津川が流れています。
           城内に位置するとされる妙見社は残っていますが、周辺はすっかり宅地化されており、
          遺構らしきものは見当たりません。神社の南に殿山公園があるので、おそらくこのあたり
          までが城域だったものと推測されます。
           殿山公園の南東に鎮座する安房須神社門前の縁起説明板には、上述の通り中根城に
          ついての記述があり、現地で唯一の城跡を示すものといえます。その内容を読むと、一見
          神社境内が城跡であるかのように思えます。神社周辺は東側の谷戸に突き出た小ピーク
          となっており、ここが城跡と言われればそのように感じられる地形ではあります。実際に、
          資料やサイトによっては神社境内を中根城址としているものもあるようです。
           ただ、よくよく読むと縁起説明板には城がどこにあったかについては明示されておらず、
          『大系』では「西側の低地」に面して「四郭が南北に並んで」いたと明記されていることから、
          やはり城域は先述の妙見社周辺ということになるだろうと思われます。旧地形図と照らし
          合わせると、妙見神社を北端とするとても細長い尾根があったようで、これを縦に四つ切り
          にしたのが中根城の実態だったものと考えられます。この細尾根の東には、小谷を挟んで
          もうひとつ同様に細長い尾根があり、その東麓が狭義の新作集落となります。

           
 中根城址周辺現況。
妙見社。 
 殿山公園。
安房須神社。 


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