中田島古城(なかたじま) | |
別称 : 前沢城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 前沢氏か | |
遺構 : 土塁、堀、曲輪 | |
交通 : JR飯田線伊那田島駅徒歩15分 | |
<沿革> 信濃源氏満快流・片切氏の庶流である前沢氏によって築かれたとされる。前沢氏は、平治元年 (1160)の平治の乱で一時没落した片切氏を再興させた、片切為安(為康)の弟・長清の子・盛友 に始まるとされる。ただし、前沢城および前沢氏の詳しい歴史については不明である。 <手記> 中田島古城(前沢城)は、天竜川の河岸段丘が支脈の沢谷に削られた一峰に築かれています。 北西の道路のカーブ地点付近から沢を渡り、前方へ進むと主郭背後の堀切に出ます。かなり規模 のある堀で、これだけでもテンションが跳ね上がるでしょう。 郭内には土塁が残り、南東隅付近は小さな神社の基壇として利用されています。宮坂武男氏の 鳥瞰図では、主郭の先にも堀切や竪堀があるようなのですが、こちらはド藪となってしまっていて とても行けませんでした。 いったん戻り、峰を遡るとやがて溝状の地形が現れます。先の鳥瞰図では立派な一文字の堀切 として描かれていますが、私が見た限りでは途中で堀としては不自然に屈曲し、造作も浅いので、 城の遺構というより旧道ではないかと思われます。 ほぼ単郭でコンパクトながら防衛設備はしっかりとしており、さすがに前沢氏が成立した鎌倉時代 の遺構とは考えられません。前沢氏が存続したかどうかは定かでありませんが、片切氏の居城で ある船山城の支城として、戦国時代まで使用されていたものと拝察されます。 |
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主郭背後の堀切。 | |
同上。 | |
主郭の土塁。 | |
主郭のようす。 | |
南東隅の土塁上に鎮座する小社。 | |
峰を遡ったところにある溝状地形。 旧道か。 |
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葛島城下から中田島古城跡を望む。 |