日向館(ひなた) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 岩城隆時 | |
遺構 : 堀、土塁 | |
交通 : JR常磐線富岡駅徒歩25分 | |
<沿革> 現地説明板によれば、永正年間(1504〜20)ごろに岩城常隆(11代)の五男隆時 が家臣28騎とともに日向館を築いて移ったことが、『佐藤家文書』に記載されている とされる。隆時は、このとき富岡氏を称したともいわれる。 大永四年(1524)ないし天文三年(1534)、相馬顕胤により富岡城および木戸城が 攻め取られた。富岡城は日向館を指すとも考えられるが、確証はない。 元亀元年(1570)、隆時は木戸城・富岡城を相馬氏から奪還したが、同年に死没 した。その後、慶長七年(1602)に岩城家が改易となるまで富岡は岩城領であった が、日向館の扱いについては詳らかでない。遅くとも、改易時までに廃城となった ものと推測される。 <手記> 光西寺背後の舌状の丘が日向館跡で、境内裏手に説明板が設置されています。 そこから丘の先端上までは登ることができ、途中には土塁の跡と思しき地形も認め られます。ただ、そこから奥は一寸先も闇のド藪で、とても入れそうにありません。 他サイト様によると、付け根側の堀切に取りつくのがよいように書いてあったので、 そちらを探すことに。しかし、麓の家々はどちらも震災後の帰還を諦めたようで、悉く 更地となっており、どこが堀切なのか逆に目星がつきにくくなっていました。なんとか それらしき隙間を見つけて這い登ってみたところ、運よくビンゴで、竹藪の向こうに 立派な堀切が見えました。とはいえそれ以上はやはり藪がひどくて進めそうになく、 ここでギブアップと相成りました。 |
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日向館先端付近を見上げる。 | |
光西寺背後の説明板。 | |
先端付近の土塁状地形。 | |
先端付近を登ったところ。 | |
付け根側の堀切。 | |
堀切への登り口。 |