長束館(なつか) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 土塁、柱穴 | |
交通 : JR東海道本線草津駅よりバス 「新堂」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 春日神社の北東、小字「中堂」付近を発掘調査したところ、土塁や掘立柱建物の柱穴が検出され、居館 遺構と認定された。 城主や沿革などは不明だが、長束といえば、豊臣秀吉に仕えて五奉行の1人に数えられた長束正家が 思い起こされる。正家の父は水口盛里といわれ、盛里が栗太郡長束村に移住し、正家はそこで永禄五年 (1562)に生まれたと伝わる。正家は、その後水口岡山城主12万石に出世したが、長束館は盛里・正家 父子の初期の居館であった可能性が指摘できるものと思われる。 <手記> 長束館のあった長束町は、志那街道や芦浦観音寺に近く、豊な土地であったと推測されます。現在は、 土塁跡と思しき竹薮があるほかは、とくに城館の存在を示すものはありません。春日神社もかなり荒れ果 ててしまっていて、少々残念に思います。 |
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長束館跡遠望。 |