練馬城(ねりま)
 別称  : 豊島城、矢野山城
 分類  : 平山城
 築城者: 豊島景村か
 遺構  : 土塁
 交通  : 西武豊島線または地下鉄大江戸線豊島園駅徒歩2分


       <沿革>
           元弘年間(1331〜34)までに、豊島氏によって築かれたと考えられている。『日本城郭大系』では、
          豊島景村の築城としているが、景村についてはその存在や事跡が明らかでない。このころ豊島氏の
          庶流に練馬氏の名があり、豊島氏が勢力を西に広げるなかで一族に築かせたものとみられている。
           豊島氏の本拠が4kmほど西の石神井城に移ると、練馬城はその支城として機能したと推測される。
          戦国時代初頭、豊島氏は扇谷上杉氏家宰太田道灌と対立するようになった。文明八年(1476)に
          長尾景春の乱が勃発すると、豊島氏は景春方につき、両上杉方の道灌と対決することとなった。
           翌九年(1477)、練馬城の近くで豊島泰経と道灌の軍が激突した(江古田・沼袋の戦い)。泰経軍
          は一族郎党150余名の戦死者を出して惨敗し、石神井城へと撤退した。その後の練馬城については
          記述がないが、まもなく石神井城が落城していることから、これと前後して練馬城も廃城になったと
          思われる。


       <手記>
           練馬城址はとしまえん遊園地の敷地内にあります。ウォータースライダーのあるあたりが主郭跡と
          され、現地を訪れると石神井川に臨む台地の端にあることが分かります。園の入場口を通ってすぐ
          左手の花壇は、この台地の斜面を利用したもので、土塁とまではいいませんが、城の名残を感じる
          ことができます。明確な遺構や説明書きなどはありません。
           夏をギリギリ過ぎていたので、入場料をしっかり払ったのに、主郭のあるウォータースライダー周辺
          には立ち入れませんでした。ビアフェスタ開催中ということで、ビール+おつまみ+入場料で1000円
          だったので、アトラクションには一切乗らず、ビールだけ腹に収めて帰りました(笑)。
           500mほど東には、練馬城の出城と伝わる栗山城比定地があります。


           
 としまえん入場口付近から練馬城址を望む。
練馬城址(左手)と石神井川。 


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