西館(にし) | |
別称 : 御西館、御仮御殿、愛子館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 山岸修理之助 | |
遺構 : 堀、土塁、削平地、石垣跡、池跡 | |
交通 : JR仙山線陸前落合駅徒歩10分 | |
<沿革> いつごろ築かれたのかは不明だが、当初は山岸修理之助の屋敷であった。後に、宇和島藩の スタートセッティングを終えて仙台に帰還した茂庭了庵(綱元)の屋敷となったという。現地の案内 には、『綱元君記録』や『伊達治家記録』に伊達政宗がこの屋敷を訪れていたことが記されている とある。 寛永十三年(1636)に政宗が死去すると、了庵は栗原郡に隠棲した。このとき了庵は、屋敷を 政宗の長女五郎八姫に献上し、新たに屋敷が普請されて御仮御殿として利用されることとなった。 五郎八姫は、夫であった高田藩主松平忠輝が元和二年(1616)に改易されると、離縁され仙台に 引き取られていた。その後仙台城の西屋敷に住んだため、「西館殿」とも呼ばれていた。「西館」 の呼称は、この五郎八姫の別称に由来するもので、それまでの屋敷の呼び名については不明で ある。沼舘愛三の『伊達諸城の研究』では「愛子館」としているが、根拠は明らかでない。 以後、五郎八姫が寛文元年(1661)に仙台城西屋敷で亡くなるまで、西館は彼女の別荘的な 役割を果たしたとみられている。 <手記> 西館は、斎勝川と広瀬川が形成する沖積地を北に望む、山麓の高台に位置しています。山容は 急峻というほどでもなく、まったくの高台のお屋敷です。 西半分ほどが史跡登録されていて、堀や土橋、土塁、数段の削平地などの遺構が見受けられ ます。案内板には石垣や池跡の存在が書かれていましたが、具体的にどこにあるのかはわかり ませんでした。 館跡へは、仙台西道路と落合駅前通りの交差点を西に向かって、ガソリンスタンドを通り越した あたりに登城口の看板が出ています。これを見つけないと、見学は困難です。館跡からの眺望は なかなかのもので、政略結婚のうえ若くして離縁させられ、再婚することなく世を去った五郎八姫 の生涯に、ふと思いを馳せていました。 |
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西館の土橋と空堀。 | |
館内のようす。数段に削平されているようにみえます。 | |
館からの眺望。 |