中村館(なかむら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 西牧氏
 遺構  : 曲輪、井戸跡
 交通  : 長野自動車道松本ICから車で20分


       <沿革>
           在地領主・西牧氏の初期の居館とされる。西牧氏は信濃の名族・滋野氏の一族とされるが、
          その系譜や西牧郷への入植の経緯などは明らかでない。建仁三年(1203)に作られた真光寺
          の阿弥陀如来三尊像の体内銘に「滋野兼忠」「滋野兼茂」の名が見えるのが初出とされ、遅く
          ともこのときまでに、中村館に拠っていたものと推測される。
           いずれかの時期に西牧氏は北東の於田屋館へ本拠を移したとみられるが、中村館について
          も支館として存続したと考えられている。天正十年(1582)に、旧主・小笠原長時の子・貞慶が
          松本平に復帰すると西牧氏は所領を逐われ、中村館も廃されたものと推測される。


       <手記>
           中村館は上野原段丘の南西端近くに位置する崖端の城館です。最盛期の西牧氏は上野原
          全体を領しており、中村館からスタートして勢力圏と開拓地を北東へ拡大していったものと推測
          されます。
           現状は宅地で、台地上に明確な遺構はありません。西側は神田川沿いに神田川坂(天明坂)
          が麓へ通じており、天然の堀の役割も果たしています。川沿いからスライドして、民家から1段
          下りたところへ分け入ると、腰曲輪跡の平場に出ます。その脇には『日本城郭大系』の要図に
          記載されている井戸跡と思しき大穴が開いており、貴重な遺構といえそうです。
           一方の東側にも胡桃坂と呼ばれる切通し道があり、上の地図を見る限り、一応小沢が流れて
          いるようです。初期の西牧氏はこれらの水利を基に、東の尾入沢と西の穴沢に挟まれた台地を
          開発していったのでしょう。

           
 中村館跡現況。
西辺の神田川坂。 
 神田川の流れ。
腰曲輪跡。 
 腰曲輪脇の井戸跡。
西辺の胡桃坂。 


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