古城(こ)
付 物見館
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大井氏
 遺構  : 土塁、堀跡か
 交通  : JR常磐線小高駅徒歩20分


       <沿革>
           『日本城郭大系』に大井氏の居城とある。大井氏は、相馬氏一門である岡田館主
          岡田氏の庶流とされるが、詳しい系譜は明らかでない。大井氏の館は、慶長十六年
          (1611)に相馬家の居城が中村城に移されるまでには廃されたとみられるが、詳細
          は不明である。


       <手記>
           大井氏居城の場所は正確には調べがつかなかったのですが、『大系』によれば
          大井字花輪にあったとされています。今もその住所の範囲に変わりなければ、現在
          の小高区大井字花輪の指すエリアはさほど大きくありません。
           そこで私が注目したのが、台地上の花輪地区の南西に2か所突き出た部分です。
          『大系』によれば、花輪にはもう1つ詳細不明の「物見館」があったということなので、
          どちらかが古城でもう一方が物見館である可能性は高いように感じました。
           集落へと上がる道の左右両側にそれぞれ比定地があるのですが、まず東側の丘
          へは、道の途中にあるカーブミラーの裏側から登れます。上がった先はかつて畑地
          だったと思われますが、今はまっさらな更地です。そのなかに、ポツンと小さな塚が
          あるのが、真っ先に目につきます。何のための塚なのか分からず、あるいは土塁の
          名残ではないかと思われます。
           台地の縁は浅い藪となっていて、東辺に帯曲輪状のテラスがありますが、やはり
          遺構かどうかは断定できません。さらに、東辺の付け根には、堀状の切れ込み地形
          が見られます。ここまでくると、やはりここが古城跡ではないかと思うのですが、調査
          が入ることを期待するばかりです。
           一方の西側の丘には、花輪薬師尊があります。こちらは薬師尊境内入口に堀状の
          切れ込みがみられますが、遺構かどうかは判別できません。境内とその周辺に畑が
          みられるばかりで、確信は持てませんでした。ただ、花輪地区で「物見」というほどの
          場所は限られているので、依然可能性地の1つではあるかと思います。

           
 古城および物見館と思われる左右の丘。
東側の丘上のようす。 
右奥に土塁状の塚が見えます。 
 土塁状の塚。
東辺付け根の堀状地形。 
 東辺の帯曲輪状のテラス地形。
西側の丘の花輪薬師尊。 
 薬師尊入口脇の堀状地形。


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