朝比奈城山(あさひな)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 曾根氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR東海道本線菊川駅からバスに乗り、
      「浜岡総合運動場前」下車徒歩45分


       <沿革>
           『探訪ブックス 東海の城』によれば、戦国末期に曾根氏の居城だったとある。『日本城郭
          大系』には、曽根氏は高天神城主小笠原長忠(氏助/信興)とある。曾根氏について詳細
          は不明である。


       <手記>
           複雑に入り組む牧之原台地の一峰にあり、背後には茶畑を抜ける道路が走っています。
          朝比奈城山を訪れるには、まず茶畑の向こうに見える鉄塔を目指します。茶畑は数年前に
          放棄されたようで、私が訪れたときはまだ茶゛ャングルにまではなっていなかったものの、
          時間を追うごとに藪化は進行することでしょう。とまれ何とかして鉄塔までたどり着ければ、
          後は簡単です。
           鉄塔のひとつ西側の尾根に取りついて進めば、まもなく最後尾の堀切が現れます。主郭
          までの間には少なくとも3本の堀切があり、竪堀や竪土塁も見られました。虎口などの工夫
          はないようですが、前方にも曲輪や堀切を重ね、この規模にしては防備は厳重といえると
          思います。城域は先端近くまで延びているともいわれますが、この日最後の訪城とて日没
          が迫っており、足元がだいぶ暗くなってしまったのキリの良いところで引き上げました。
           朝比奈という城名から、駿河に本貫をもち、遠江掛川城を築いた分家もある今川家重臣
          朝比奈氏が城主かと思ったのですが、そのような説は微塵もないようです。朝比奈川沿い
          に朝比奈村があったということで、たまたま駿河と遠江両国に同じ地名が存在していたので
          しょうか。たしかに、鎌倉にも朝比奈切通しや三浦氏庶流の朝比奈氏があるので、そこまで
          珍しい地名ではないのかもしれません。
           そうなると気になるのが、曾根氏の出自です。今川氏周辺で曾根姓は目にしたことがなく、
          まず思い浮かぶのは武田家臣の曾根氏です。小笠原信興は、天正二年(1574)も武田勝頼
          に降伏した後は、しばらく高天神城主に留まったものの、翌三年(1575)に東駿河へ移され、
          曾根河内守の麾下に入ったとされています。とするならば、曾根氏は小笠原家臣ではなく、
          降伏した信興に武田氏から目付として付された与力だったのではないでしょうか。もしそうで
          あれば、築城時期は天正二年ごろであると考えられます。

           
 城山背後の旧茶畑。
 その奥の鉄塔が目印です。
ここまで来られれば後は簡単です。 
 最後尾の堀切。
主郭後背の堀切その1。 
 その2。
竪堀か。 
 主郭背後の堀切。
竪堀および竪土塁。 
 主郭下の腰曲輪。
主郭のようす。 
 礫石か。
主郭前方の堀切。 
 主郭前方の曲輪と土塁。


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