荻窪城(おぎくぼ) | |
別称 : 東荻窪城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 赤荻氏か | |
遺構 : 曲輪跡、土塁、堀 | |
交通 : 上毛電鉄江木駅徒歩20分 | |
<沿革> 現地の説明板によれば、地元に伝わる古文書に「文和二年(1353)に足利尊氏郷の末派で 赤荻主馬之介智宜 同弾正智則が居城 之により同村の字向山に城の守本尊として大日如来 を祭り城の安泰を祈った」とあるとされる。ここから、荻窪城は大胡城の出城であり、築城年代 は文和二年をいくらか遡ったころと推測されている。 赤荻氏の名は今のところ史料からは見つかっていないようで、出自など詳細は不明である。 先の古文書には足利尊氏の縁者のように書かれているが(「末」「派」などとあるが、文和二年 には尊氏はまだ存命)、荻窪近くの大胡城主大胡氏やその一族の上泉城主上泉氏などは、 藤原秀郷後裔の藤姓足利氏(源姓足利氏の尊氏とは別流)の流れを汲んでおり、順当に考え れば、赤荻氏も大胡氏一族とみるのが妥当かと思われる。 赤荻氏および荻窪城に関して、それ以上のことは不明である。 <手記> 荻窪城は、東に寺沢川が流れる舌状台地の先端に築かれた城です。寺沢川流域には、今も も谷戸田が広がっており、この生産性の高い谷戸を開発した領主の城であることは瞭然です。 主郭は全体的に私有地のようですが、南東半分ほどが手入れされて一般に公開されている ようで、ここに城址標柱とイラスト入りの説明板があります。主郭北辺の空堀と土塁はよく残って おり、中ほどで鉤字に折れている部分のはっきりみてとれます。土橋と虎口様の箇所も見受け られるのですが、イラストをみるとほとんど木橋になっているので、あるいは後世に作られたもの かもしれません。 北西すぐのところに西荻窪城があり、これと区別して東荻窪城と呼ばれることもあるようです。 おそらく、開発が進むにつれて西へと支配を拡大させていったのでしょう。 |
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荻窪城址標柱。 | |
本丸南西隅付近の荻窪城址説明板。 背後には本丸土塁が見えます。 |
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本丸北西隅付近の空堀。 |
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本丸北辺の土塁。 | |
本丸北東隅付近の空堀と土塁。 画面中央は土橋跡か。 |
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荻窪城麓の寺沢川の谷戸。 左手に荻窪城址切岸。 |