大槲城(おおくぬぎ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長宗我部元親
 遺構  : 削平地
 交通  : JR高徳線讃岐津田駅からバスに乗り、
      「さざんか荘」下車徒歩20分


       <沿革>
           天正十一年(1583)に長宗我部元親が雨滝城を攻めた際の陣城とされる。また、『南海
          通記』に見える同年の虎丸城攻めにおける「田面山」も、大槲城を指すものと思われる。
          このとき、元親勢は引田浦から上陸した仙石秀久の援軍と入野原で会戦し、これを撃破
          して引田城を奪取した(引田の戦い)。次いで雨滝城も開城したが、虎丸城を陥落させる
          ことはできなかった。
           虎丸城の落城は翌天正十二年(1584)とされ、このときまでに廃城となったものと推察
          される。


       <手記>
           『日本城郭大系』によると、さぬき市大川町田面の豊田神社が大槲城跡とされています。
          舌状の細長い丘で、周囲ははっきりとした斜面になっていて、境内は広く平らなものの、
          堀などの遺構はみられません。陣城ですから、そこまで城砦化する必要性はなかったの
          でしょう。
           北東斜面に虎口状の開口部があり、麓に下りる道が付いています。また、本殿裏手に
          帯曲輪様の平場がありますが、いずれも城の遺構かは定かでありません。
           ちなみに「槲」の字は、本来「くぬぎ」ではなく「かしわ」と読みます。今では「大国木」と
          書くようなので、読みは「くぬぎ」なのでしょうが、当て字を間違えたのか、実際に「大槲」
          と書いて「おおくぬぎ」と読んでいたのかはちょっとした謎です。

           
 大槲城跡とされる豊田神社。
北東斜面の虎口状開口部。 
 本殿背後の帯曲輪状の平場。


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