岡の城(おか) | |
別称 : 岡城、岡の城山 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 太田道灌か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀 | |
交通 : JR武蔵野線北朝霞駅または 東武東上線朝霞台駅徒歩20分 |
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<沿革> 岡という場所にある城であることから「岡の城」ないし「岡の城山」と呼ばれるが、当時の呼称は 明らかでない。 『新編武蔵国風土記稿』によれば、長禄〜文明年間(1457〜87)に太田道灌が東円寺の近くに 城を築いたことが、東円寺の寺伝に記されているとされる。『記稿』では、この城が岡の城である と比定した上で、あるいは道灌の曾孫康資の城館だったのではないかと推測している。 いずれにせよ、史料には登場しないため、築城や廃城の時期などについては一切不明である。 <手記> 岡の城は、黒目川に突き出た舌状台地の先端に位置しています。現在、城跡一帯は城山公園 として整備されています。 城は、先端の主郭から二の郭・三の郭と連郭式に曲輪が連なっており、曲輪間は堀切で切られ ています。主郭の南東隅には櫓台とみられる土塁があり、曲輪間の堀は折れをもっています。 全体の縄張りの雰囲気は八王子市の片倉城と類似しているように思われ、後北条氏時代まで 使われていた可能性が高いと推測されます。かといって、近くにある滝の城と比較すると、縄張り の複雑さや規模では大きく劣っているため、北条氏直轄の城ではなく、当地を治める北条氏配下 の領主の持ち城であったのではないかと考えられます。こうした点から、康資のころまで太田氏の 城であったとする見解は妥当ではないかと私も思います。 |
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岡の城山近望。 | |
主郭のようす。 | |
主郭の櫓台土塁。 | |
主郭の空堀。 中央でクランク状に折れています。 |
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二の郭の空堀越しに三の郭を望む。 |