小曾沼城(おそぬま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 市営地下鉄泉中央駅または八乙女駅徒歩15分


       <沿革>
            小曾沼城は、一名坂城とともに『鬼柳文書』のなかにその名がみえる。それによると、
          一名坂城・小曾沼城は南北朝時代に、山村城(山邑城、山野内城)の出城として南朝方
          によって築かれたと推測されている。山村城を拠点に、山村宮正平親王や大河戸氏らが
          北朝方と対峙していた。
           山村宮の戦死後、大河戸氏らの残党は一名坂城や小曾沼城に篭って抵抗を続けた。
          正平八/文和二年(1353)一月、北朝方の攻撃により、両城は落城した。これによって、
          両城は廃されたものと思われる。


       <手記>
           小曾沼とは、「かわうその住む沼」の転訛といわれているそうです。近年までその沼が
          あったということですが、現在は開発により失われています。小曾沼城は、高玉明神が
          祭られているあたりにあったといわれていますが、たしかなことは分かっていません。
           高玉は七北田川と要害川の合流地点にあり、川に挟まれた湿地帯に築かれた小規模
          な砦だったものと推測されます。

           


小曾沼城址とされる高玉明神。


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