ザールブルク城砦
( Kastell Saalburg )
 別称  : ザールブルク兵営
 分類  : 古代ローマ陣営
 築城者: トラヤヌス帝か
 交通  : バート・ホームブルク駅よりバス。
       「ザールブルク」バス停下車。
       またはザールブルク駅徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           紀元1世紀末ごろ、ローマ帝国のドミティアヌス帝はそれまでに獲得したライン川およびドナウ川
          流域地域の確保のため、「リーメス(Limes)」と呼ばれる長城の建設を開始した。この長城には、
          短い間隔で物見塔が並べられ、それよりやや広い間隔で兵営が設けられた。ザールブルク城砦
          が築かれたのは2世紀初頭と推測されているが、当時の皇帝はトラヤヌス帝である。当初の城砦
          は現在復元されているような石造ではなく、木製であったとされる。兵営には160人ほどが常駐し、
          リーメス(リメス)や街道を監視していた。
           120年頃、各監視塔や兵営間の通路を監視兵が行き来するだけであったリーメスに木製の柵が
          設けられた。それまでは、リーメスを越えての移住や交易などの往来は認められていたが、柵の
          設置により明確に国境の封鎖が意識されるようになった。
           135年、兵営は石造の大規模城砦に増改築され、駐留兵も600人程度と一気に拡充した。城砦
          内には兵士だけでなく、その家族や職人や商人なども住んでいた。同時に、リーメスの監視塔も
          逐次石造へ改められていったと考えられている。200年代初めごろに、兵営とそれに付随する町の
          の規模は最大となり、兵士と住民あわせて2000人ほどを数えたとみられている。他方で、2世紀末
          ごろからリーメスの長城の木柵は朽ちるに任せて打ち捨てられ、代わりに堀と土塁が設けられた
          ことが、近年の調査・研究で明らかとなった。これは、堀と土塁の方が防衛力に優れているからと
          いうより、柵に使う木材が不足したためと推測されている。
           3世紀に入ると、ゲルマン系諸部族との間で緊張が高まるようになった。233年、ゲルマン系の
          アラマンニ族がリーメスを越えて侵入し、兵営は落ちなかったものの周辺の村を略奪した。254年
          と260年にも同様の侵略を受けたとされる。
           260年、ついにリーメスは放棄され、ローマ軍はライン川の防衛戦まで撤退した。アラマンニ族が
          城砦を手に入れて利用したともいわれるが、時とともに朽ち果て遺跡となっていった。
          
  
       <手記>
           ザールブルク城砦は、フランクフルトの北西20kmほどのところに位置しています。古代ローマの
          「Castrum(ドイツ語ではKastell)」について、日本語では「城砦」と訳すのが一般的になっている
          ようです。しかし、「城砦」とは本来「刀剣」や「家屋」などのように、同義語を重ねて汎用的に使う
          単語であり、個別の城塞に対して用いるものではありません。また、「Castrum」は、防衛設備は
          有するものの、その第一の使用目的は兵の駐留にあるため、私は「兵営」ないし「陣営」と訳すの
          が妥当ではないかと考えています。
           リーメスは、近年ヨーロッパで研究が進められているホットな遺跡です。たとえば、かつては柵と
          堀が併用されていたと考えてられていたところ、調査の結果上記のとおり柵が棄てられたのちに
          堀と土塁が築かれたという順序が明らかとなるなど、新しい成果が得られているようです。
           ザールブルク城砦は、そのようなホットなリーメスに等間隔に設けられた兵営跡の1つを、できる
          だけ忠実に復元したこれまたホットなテーマパークです。今もなおチラホラと工事中の箇所があり、
          カンカンキンキンと石を削る槌音が聞こえてくるのも、意図せずローマっぽさを醸し出しています。
          内部は、復元兵舎の一部がカフェスペースになっているほかは、基本的に展示スペースとなって
          います。
           ザールブルク城砦は、リーメス関連遺跡のなかでは数少ない復元された古代ローマ兵営となり
          ます。そのうえ大都市フランクフルトからの交通も悪くないということで、穴場的な観光スポットと
          なっています。同様の遺跡公園としては、同じドイツ国内のディンケルスビュール郊外に位置する
          ルッフェンホーフェン遺跡があります。こちらは復元はされておらず、遺跡のまま地表復元するに
          とどめてあるのですが、私個人としてはむしろその方が味があると思ってもいて、一概にどちらが
          良いとか優れているとかはいいにくいように感じます。両兵営を比べてみると、城を囲う堀の数が
          ザールブルクの2本ないし3本に対してルッフェンホーフェンは4本と、後者の方がランクが高いこと
          が分かります。他方で、正方形のルッフェンホーフェン兵営に対してザールブルクは職人や商人
          の利用スペースがある分長方形をしていて、面積はザールブルクの方が広いようです。
           なお、ザールブルク城砦へは北東のザールブルク駅から徒歩で行くこともできます。私はこちら
          のルートを利用し、森の中の散策路を15分ほど歩いたのですが、道中ドイツ語の道標が読めない
          といくつか迷ってしまいそうなポイントがあるので注意が必要です。

  
 城砦を囲う堀。
リーメスの堀と土塁。左手には復元木柵。 
 城砦の脇にある小稜堡の土塁。
 城砦が築かれる前の防御施設とみられています。
城砦の城壁を内側から。 
 復元兵舎。
復元主庁舎(プリンキピア)。 
 復元されたかまど。
城砦の外の浴場跡遺跡。 
 遺跡修復中のようす。


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