北方城(きたがた)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 本間氏
 遺構  : 堀、土塁、曲輪
 交通  : 両津市街または佐和田市街からバスに
      乗り、「新穂小学校前」下車徒歩5分


       <沿革>
           国中平野に点在する在地領主「村殿」の1つ北方本間氏の城館跡とされる。守護代
          本間家の庶流なのか、代官として本間姓を与えられたものかは定かでない。
           『大屋文書』によれば、弘治二年(1556)に北方城主本間十郎清繁が領境の蛭河内
          に城砦を築いたとされる。『日本城郭大系』によれば、上杉景勝が佐渡を平定した天正
          十七年(1589)に廃城となった。


       <手記>
           北方集落の中に、丸みを帯びた長方形の堀跡がはっきりと残っています。南西500m
          ほどのところにある新穂城跡とは異なり、こちらは地図上には堀が明記されていません
          が、残存状況は新穂城にも劣っていません。ただ、『大系』には遺構が「ほとんど残って
          いない」とあることから、この堀は近年整備し直したのかもしれません。
           とくに道路に面した西辺の堀は立派で、集落への入口脇に「北方城堀跡」と書かれた
          看板が立っています。新穂城や青木城と並んで、重要な城館遺構といえるでしょう。

           
 西辺の堀と「北方城堀跡」の看板。
南西隅付近。 
土橋は後世のものか。 
 南辺の堀。
北辺の堀。 


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