笹森城(ささもり)
 別称  : 鶴ヶ谷城、鶴谷城
 分類  : 山城
 築城者: 鶴谷氏
 遺構  : 削平地、土塁
 交通  : 仙台駅よりバス。「鶴ヶ谷5丁目東」
       バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『仙台領古城書上』二よれば、東西45間・南北20間の規模で、城主は鶴谷治部であった。鶴谷氏
          は国分氏の重臣で、国分宗政の代の永禄年間(1558〜69)に、鶴谷盛勝が国分氏の娘を娶ったと
          される。
           築城時期は不詳だが、鶴谷治部が天正年間(1573〜91)まで居住したとされる。鶴谷氏の主家
          国分氏は、伊達政宗の叔父でその家臣と化していた国分盛重が、慶長元年(1596)に出奔したこと
          で滅び、その後鶴谷氏は政宗に仕えた。また、留守氏重臣兵藤氏が住したともいわれるが、国分氏
          滅亡後、あるいは鶴谷治部の死後一時的に笹森城が隣領の留守氏預かりになったものとも考えら
          れる。廃城時期は不明である。

       <手記>
           笹森城は、北に七北田川を望む丘陵上にあります。七北田川の対岸に、国分盛重の居城とされる
          松森城と留守氏居城岩切城を間近に捉える重要な場所といえます。東西2つの峰からなる城だった
          と推測され、3段ほどの曲輪をもっていたとされています。
           現在、城跡一帯は鶴ヶ谷の住宅街となり、また鶴ヶ谷団地と仙台バイパスとを結ぶ新道の建設に
          よって、その大半が削られてしまいました。とくに東側の峰は、新道がその中心を貫いているため、
          遺構の確認は絶望的です。残った西側の峰も、変電所や教育センターの敷地内となり、人畜不踏の
          荒れ林となっています。頂上には削平地や土塁があるということですが、個人で山を登る術はありま
          せん。また、周囲に城跡を示すものもありません。


           
 笹森城址を東から望む。
笹森城址現況。 


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