関戸城(せきど)
 別称  : 天守台
 分類  : 山城
築城者 : 不明
 遺構  : 土塁
 交通  : 京王線聖蹟桜ヶ丘駅徒歩15分

       <沿革>
          眼下に鎌倉街道や霞ノ関、関戸宿を見下ろし、これを監視するために設けられた要害で
         あると推測されている。元弘三年(1333)五月十六日、鎌倉幕府打倒を目指す新田義貞ら
         と幕府方の北条泰家らが霞ノ関周辺で激突したが(関戸の戦い)、このときにすでに城が
         存在していたかは不明である。
          明応三年(1494)八月、扇谷上杉定正が山内上杉顕実を攻め、その際「関戸の塁」を
         落としたとあり、この「関戸の塁」が関戸城と同一ではないかとされる。天守台の名の由来
         は、『武蔵名勝図会』によれば、豊臣氏の小田原陣の際の石垣山城にちなんで後世付け
         られたものではないかとされている。
          城山の東斜面には、後北条氏時代に関戸城の守将を務めたといわれる佐伯氏の
         あったとされる。ただし、『小田原衆所領役帳』には「飯田富永」両氏が「関戸之内」に五十
         貫文を知行していたとある。
          大栗川を挟んだ北麓には、有山屋敷があったとされる。


       <手記>
          聖蹟桜ヶ丘駅から南に向かう商店街の道を進むと、いろは坂という九十九折れの道に
         でます。これを上りきったあたりに関戸城址を示す碑があります。遺構の存在は確認でき
         ませんでしたが、往時は四方へ眺望が開け、物見に適していたことは十分実感できます。
          余談ですが、いろは坂は映画『耳をすませば』で図書館があったところで、実際には何も
         ありません。また、この道を進むと地球屋のモデルとなったロータリーがありますが、映画
         の幻想を持ち続けたい人は行かないほうが良いと思います。

 関戸城址(天守台)標柱。
向ノ岡付近から関戸城址を望む。  
 関戸城址西端付近に立つ金比羅社。
城山山頂部遠望。  


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