石光山砦(せっこうざん)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 平時輔か
 遺構  : 不詳
 交通  : JR高山本線高山駅からバスに乗り、
      「天満神社前」下車徒歩25分


       <沿革>
           春の高山祭で有名な日枝神社は、永治元年(1141)に飛騨守であった平時輔が
          片野の山中で狩りをしていた際に奇瑞に出逢い、城を構えていた石光山に近江の
          日吉大神を勧請して鎮護としたことにはじまるとされる。これが正しければ、時輔の
          ころには既に城砦が築かれていたことになる。一般には、時輔の居城三仏寺城
          支砦とされる。
           治承五年(1181)正月、源平合戦に際し、信濃で挙兵した木曽義仲の武将手塚
          光盛らが久々野から攻め入り、石光山の砦は落ちて社殿も焼失したと伝わる。
           その後、里人によって日枝神社は元通り石光山に再建されたとされる。以降、
          城砦として使われることはなかったとみられるが、確証はない。ちなみに日枝神社
          は、慶長十年(1605)に高山藩主金森氏によって現在の場所に遷された。


       <手記>
           山王トンネルの真上に当たる峰先が石光山砦跡とされています。周辺は農園が
          広がっていて、砦の中心部と目される場所も畑地を抜けた奥になります。獣害が
          深刻らしく、農場エリアの出入り口自体もゲートなどで厳重に封鎖されているうえ、
          それぞれの畑もさらに金柵でガードされています。そのため無断で畑を通り抜ける
          わけにはいかず、柵越しに遠目で眺めるにとどめました。
           まぁ、実在したとしても平安時代末期の砦なので、遺構はほとんど期待できない
          でしょう。それにしても、かの高山祭の祭神である日枝神社のはじまりの地である
          というのに、そちらの案内1つもないのは少々淋しいと感じました。

           
 北から石光山砦跡を望む。
畑の向こうに砦の中心部方面を望む。 


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