<沿革>
武蔵国世田谷を領していた世田谷城主吉良頼高は、同家の菩提寺として領内の烏山
に泉沢寺を創建した。その後、同寺は火災によって消失したが、当時の領主吉良頼康に
よって、天文十八年(1549)、現在の地に再建された。
泉沢寺のすぐ東には江戸時代初期に小杉御殿が建造され、寺の門前は中原街道に
面した交通の要衝として栄えた。寺の周囲には、現在二ヶ領用水として利用されている
水路が、かつて「構堀」として存在していたと伝わる。
<手記>
泉沢寺そのものと、構堀の跡である二ヶ領用水は健在ですが、城館の跡としての遺構
らしい遺構は特に残っていません。門前を走る中原街道は当時宿町として栄えたそうで、
そこに吉良氏の繁栄を偲ぶのみです。
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