泉沢寺構(せんたくじ)
  別称  : 泉沢寺塁
  分類  : 平城
 築城者 : 吉良頼康
  遺構  : なし
  交通  : JR南武線武蔵中原駅徒歩10分 



       <沿革>
          武蔵国世田谷を領していた世田谷城主吉良頼高は、同家の菩提寺として領内の烏山
        に泉沢寺を創建した。その後、同寺は火災によって消失したが、当時の領主吉良頼康に
        よって、天文十八年(1549)、現在の地に再建された。
          泉沢寺のすぐ東には江戸時代初期に小杉御殿が建造され、寺の門前は中原街道に
        面した交通の要衝として栄えた。寺の周囲には、現在二ヶ領用水として利用されている
        水路が、かつて「構堀」として存在していたと伝わる。


       <手記>
         泉沢寺そのものと、構堀の跡である二ヶ領用水は健在ですが、城館の跡としての遺構
        らしい遺構は特に残っていません。門前を走る中原街道は当時宿町として栄えたそうで、
        そこに吉良氏の繁栄を偲ぶのみです。


泉沢寺

二ヶ領用水と泉沢寺


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