烏山塁(からすやま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 吉良氏または後北条氏
 遺構  : なし
 交通  : 京王線千歳烏山駅または芦花公園駅徒歩5分


       <沿革>
           延徳三年(1491)、世田谷城主吉良頼高の菩提寺として、烏山に泉沢寺が建立された。寺はその後
          火災で焼失し、天文十八年(1549)に相模国橘樹郡小田中村に再建された。小田中の泉沢寺は「構堀」
          を周囲に巡らし城砦化していたことから(泉沢寺構)、烏山の泉沢寺も吉良氏の出城として同様の防備
          が施されていたものと考えられている。
           天文六年(1537)、扇谷上杉朝定が築いた深大寺城に対抗するため、北条氏は泉沢寺跡に砦を構築
          した。城将には、北条家臣高橋民部少輔氏高が任じられた。同年、深大寺城と上杉氏の居城河越城
          落ちると、烏山塁は役目を終えたものと考えられる。ただし、付近に氏高にちなむ「民部谷」という字が
          残り、高橋氏が一族の守護神として番神堂を建てていることから、しばらくは高橋氏が預かっていたとも
          推測される。
           廃城時期は明らかでないが、天文二十五年(1556)に吉良頼康が民部谷を泉沢寺に寄進していること
          から、この頃までには廃されていたものと考えられている。


       <手記>
           烏山塁の所在地については2つの説があります。1つは烏山神社周辺、もう1つはウテナ本社周辺です。
          烏山神社は、周囲に比べてやや微高地にあるようにも見えますが、城砦を設けるに足るような地形とは
          思えません。
           それに対してウテナ本社周辺は、西から南へ烏山川が流れ、一応河岸の先端にあたります。城を築く
          には、こちらの方が圧倒的に適地といえるでしょう。
           遺構も城跡を示すものも全くありません。烏山神社境内の隅に、周辺の開発に伴って撤去された城主
          高橋氏の番神堂記念碑があり、わずかに往時のよすがを伝えてくれます。


           
 比定地その1:烏山神社。
比定地その2:ウテナ本社周辺。 
 烏山神社境内にある城主高橋氏の番神堂撤去記念碑。


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