天神山砦(てんじんやま)
 別称  : 敷地天神山城
 分類  : 平山城
 築城者: 加賀一向一揆か
 遺構  : 曲輪、土塁、虎口
 交通  : 加賀温泉駅からバスに乗り、
      「岡町」下車徒歩5分


       <沿革>
           天正四年(1576)、加賀へ侵攻してきた織田氏に対し反転攻勢に出た一向一揆勢は、
          加賀平定を任された簗田(戸次)広正を大聖寺城に追い込んだ。広正は城を打って出て
          天神山砦を襲い、富樫六郎左衛門・舟田又吉・小黒源太・林新六郎ら一揆軍に打撃を
          与えた。しかし、状況を打破するには至らず、織田信長に救援を求めた広正は解任され
          尾張へ召還された。
           代わって北陸道を任された柴田勝家は甥の佐久間盛政を先鋒として派遣し、盛政は
          敷地天神山の一揆勢を撃破して今江城(御幸塚城)まで攻め上った。以後の天神山砦
          については不明である。


       <手記>
           加賀国二宮の菅生石部神社裏手の峰を天神山と呼び、現在はバイパス道路が貫通
          しています。とりあえず削り残された部分を目指して境内の裏手へ回ると、深い切岸を
          もつ広い削平地が2段ほど並び、上段には虎口状の枡形区画も見られました。陣城と
          して拡張された部分にも思われますが、城砦の遺構かどうか断定はできません。
           そこから峰の先端側にピークがあり、斜面の中途には腰曲輪や土塁と思われる地形
          が散見されます。そして頂部に着くと、写真では竹藪で分かりにくいのですが、T字型の
          わりとはっきりした虎口地形が眼前に現れました。バイパスの法面がすぐ近くに迫って
          いるのですが、国土地理院地図の年代別航空写真によれば、ちょうど道路のあたりに
          頂部があったようなので、主郭の虎口とみてよいのではないかと思われます。
           史料上は一揆方の陣城としてしか登場しませんが、古くは敷地氏や狩野氏が拠り、
          ひとつ北側の峰には朝倉宗滴が設けたとされる金吾ヶ城跡があります。菅生石部神社
          自体も加賀国二宮として影響力を有していたとみられ、この地に神社社地を取り込んだ
          城砦が長く設けられていたとしても、不思議ではないでしょう。

           
 菅生石部神社。
境内裏手の切岸状地形。 
 同上。
枡形虎口状の区画。 
 枡形虎口状区画の先の削平地。
 奥の斜面を登ります。
斜面中途の腰曲輪か。 
 同じく土塁か。
頂部の虎口状地形。 
 同上。
同上。 
 虎口状地形の先。主郭跡か。


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