丸尾城(まるお)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 島原氏か
 遺構  : 削平地か
 交通  : 島原鉄道島原駅よりバスに乗り、
        「農高前」下車徒歩3分


       <沿革>
           浜の城主島原氏によって支砦として築かれたとみられるが、詳しい築城の経緯は
          不明である。
           天正十二年(1584)の沖田畷の戦いに際し、島津家臣猿渡信光が丸尾口を守備
          した。龍造寺家臣鍋島信生(直茂)が山手を進軍し、信光の嫡男彌次郎が戦死する
          ほどの激戦が繰り広げられた。しかし、総大将の隆信が島津方の釣り野伏にかかり
          討ち死にすると、鍋島軍は柳河へと撤退した。
           その後の丸尾城の扱いについては定かでない。

          
       <手記>
           浜の城北西にある、名前の通りこんもりとした丘が丸尾城址です。麓には、島原藩
          深溝松平家の菩提寺本光寺があり、城跡は同家の墓所となっています。藩主家の
          廟所なのでなかなかに立派で、石垣に囲まれ棟門があげられています。『日本城郭
          大系』には石垣が残るとありますが、このように墓地整備にともなって築かれたもの
          がほとんどと思われ、当時の石塁が残存しているかは留保が必要です。そのほか、
          丘にはところどころ中腹に張り出す形で墓地が点在し、あるいはかつての腰曲輪を
          転用したものかもしれません。
           ちなみに、本光寺には「常盤歴史資料館」が付属していて、深溝松平家ゆかりの
          品々が展示されています。

           
 本光寺境内の説明板。
山頂の深溝松平家廟所を見上げる。 
 廟所内のようす。本丸跡か。
1段下の墓地。削平地か。 
 同上。
本光寺山門。 


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