水海城(みずうみ)
 別称  : 新水海城
 分類  : 平城
 築城者: 簗田晴助
 遺構  : なし
 交通  : JR東北本線古河駅よりバス
       「水海寺前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           天正二年(1574)、長年にわたり後北条氏と激しく戦ってきた古河公方家臣
          簗田氏は、力尽きて降伏した。晴助・持助父子は居城の関宿城を明け渡して
          水海に退いた。水海には、関宿城へ移る以前の居城とされる水海城があり、
          分家の水海簗田氏が居住していた。晴助父子はこれとは別に、新たな城を
          築いて居城としたとされる。
           天正十八年(1590)の小田原の役で、水海城は豊臣方の浅野長吉(長政)
          の軍勢を前に城を開いた。役後、簗田氏は改易となり、水海城も廃されたと
          考えられる。


       <手記>
           新水海城は、神明神社境内を中心とする城であったと推定されています。
          南方にある旧水海城比定地からは500mほどの位置にあります。境内西側の
          小字「神明耕地」付近で2度にわたる発掘調査が行われ、堀や曲輪跡が検出
          されました。どちらが「新」で「旧」なのかは文献上からはうかがいしれません
          が、調査の結果こちらの城に逆井城や栗橋城との縄張り上の共通点が見ら
          れるということから、当城が「新」とされています。
           現在、調査地一帯は広い畑地となっていて、遺構も説明板なども見当たり
          ません。ただ、境内付近と畑地の間にはわずかながら高低差がみられ、この
          あたりに城の存在を感じるほかないのかな、といったところです。

           
 神明神社。
西方から主郭方面を望む。 


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