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渋谷城(しぶや) |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 渋谷重家か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR山手線ほか渋谷駅徒歩5分 | |
<沿革> 城跡に建つ金王八幡宮の『金王八幡社記』によれば、武蔵国橘樹郡河崎(現在の川崎市)に 住していた秩父平氏の一族河崎冠者基家が源義家に渋谷を含む谷盛七郷を与えられ、基家の 子重家がこの地に館を築いたとされる。 渋谷の地名は、重家の子重国が応保年間(1161〜62)に相模国高座郡渋谷荘に領地を得て、 渋谷荘司を称したことに由来するとされる。『社記』によれば、渋谷城には重家の子(すなわち 渋谷重国の兄弟)の渋谷金王丸常光が引き続き住んだ。金王丸は、『平治物語』に源義朝の 郎党として登場し、義朝が長田忠致に暗殺されると、その死を義朝の愛妾常盤御前に伝えた とされる。後に頼朝に従って美濃国長森荘の地頭となり、文治年間(1185〜90)に長森城を 築いたともいわれる。また、『吾妻鏡』に現れる土佐坊昌俊は金王丸と同一人物であるといわ れるが、確証はない。昌俊は文治元年(1185)、頼朝の命を受けて京にいる源義経の討伐へ 向かったが、返り討ちにあって殺された。 金王丸以降の武蔵渋谷氏については、ほとんど明らかとなっていない。大永四年(1524)に 北条氏綱が江戸城を奪わんとして扇谷上杉朝興と高輪原の戦いに及んだ際、渋谷城は北条 方によって焼き払われたとされる。以後再建されることなく、渋谷氏は滅んだとみられている。 <手記> 渋谷警察署裏手の金王八幡宮は、渋谷城の一角に造営されたとされています。渋谷駅前の 明治通りは渋谷川の河道上を走っており、川が渋谷城の西から南へと流れていたことを示して います。また、城の東を旧鎌倉街道が走り、北東には別の谷戸(黒鍬谷)が入り込んでいたと されています。 八幡宮は警察署側から上って一旦高止まったところに位置していて、谷戸に臨む台地を利用 した城館だったことがわかります。警察署のあたりには、かつて堀があったといわれています。 遺構はとくには残っていませんが、神社本殿前に城の石垣の一部と称する「砦の石」なるもの が置かれています。ただし、戦国時代中期までの城であることを勘案すると、@そもそも石垣が あったのかAもしあったとしても、当時の技術力から見て綺麗に削られすぎているようにみえる、 という疑問がぬぐえません。 |
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渋谷城址とされる金王八幡宮。 | |
八幡宮本殿。 | |
本殿前の「砦の石」。 |