別所館(べっしょ) | |
別称 : 別所の館、太田館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 三浦氏か | |
遺構 : 削平地、土塁 | |
交通 : 常磐自動車道南相馬ICより車で15分 | |
<沿革> 千葉氏庶流相馬氏の相馬胤村の一子師胤は、異母兄胤氏と所領や惣領の地位を 巡って訴訟を繰り返した。師胤の子重胤は、元享三年(1323)に一族郎党など83名を 引き連れ、所領の陸奥国行方郡へ下向した。このとき、三浦義澄の後裔とされる三浦 左近国清なる人物が、自身の住んでいた別所の館を重胤に譲り渡したとされる。館を 築いたのも国清であったかどうかは定かでない。 嘉暦元年(1326)、重胤は小高の堀内に城を築き、次いで小高城を築城して移った。 その後の別所館については不明である。 <手記> 館跡には太田神社が鎮座し、奥州相馬氏発祥の地として、相馬野馬追の出陣地の 1つにもなっています。周囲を水田に囲まれた小さな独立丘で、本殿のあるところが 最高所ではなく、その左手から奥に入っていくと、木立の中に塚状の頂上があります。 周りには土塁状地形や削平地も見られるのですが、これらを結んでもどのような曲輪 配置だったのか今ひとつ判然としません。 北側の裾野は字を舘腰というようで、居館はこちらにあった可能性も考えられます。 そこから東にスライドして、社務所の背後にあたる部分にも土塁状地形が見られます。 旧態をどの程度とどめているのかは定かではありませんが、小高城に移ってそのまま 廃城となったのであれば、裾野の館に物見台程度の砦が付属していたのではないか という推測が成り立つように思います。 |
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別所館跡遠望。 | |
太田神社。 | |
本殿脇の木立内部のようす。 | |
塚状の頂上部。 | |
木立の中の削平地。 | |
同じく土塁状地形。 | |
字舘腰のようす。 | |
社務所裏手の土塁状地形。 |