明神館(みょうじん)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 岡田胤次か
 遺構  : 堀、削平地、虎口
 交通  : JR常磐線磐城太田駅徒歩15分


       <沿革>
           相馬氏一門の岡田次郎胤次によって築かれたとされる。胤次は岡田館主岡田胤之
          (胤行)の次男とされ、15世紀前半〜中期ごろに分家したとみられる。胤次の子孫は、
          地名をとって大甕氏を称した。
           慶長十六年(1611)に相馬利胤が中村城へ移ると、大甕氏も中村城下に屋敷地を
          与えられた。このときまでに、明神館も廃されたものと推測される。


       <手記>
           国道6号線沿いの縦長の小丘が明神館跡です。北側中腹に、明神社ではなく日祭
          神社が鎮座しています。その門前には標柱が立っていますが、文字はほぼ消滅して
          読めませんでした。
           本殿の脇には堀状地形があり、現状で一番遺構らしい遺構といえます。ただ、境内
          の造りと合わないので、堀なのか登城路の虎口なのか、ちょっと判断に詰まるところ
          もあります。
           その奥から頂上へ向かえるのですが、おそらくあと一歩で主郭というところで、ド藪
          に阻まれて進めなくなります。その手前は虎口状の袋折れになっていて、一段下に
          腰曲輪状の平場もみられます。居館部は南側の緩やかな裾野にあったと思われます
          が、こちらは民家となっていて歩き回ることはできません。

           
 朽ち果てた標柱。
日祭神社。 
 本殿脇の堀状地形。
 堀切ないし虎口跡か。
おそらく主郭手前の虎口状地形。 
 その下の平場。
 腰曲輪跡か。


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