柏木館(かしわぎ)
 別称  : 滑川館
 分類  : 平山城
 築城者: 滑川修理
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、
      「柏城小学校」下車


       <沿革>
           『須賀川市史』によれば、二階堂家臣滑川修理が築き、後に滑川藤十郎が在城したと
          される。『日本城郭大系』では築城主を二階堂家重臣・浜尾氏としているが、論拠は不明
          である。
           滑川藤十郎は、天正十七年(1589)の須賀川城攻防戦における籠城方の雨呼口守将
          の1人としてその名がみえる。翌十八年(1590)の奥州仕置によって廃城となったと推測
          されるが、確証はない。


       <手記>
           柏木館は滑川に臨んで突き出た小峰上の城です。二の丸および三の丸が柏城小学校
          や保育園となっていて、校名は柏木館にちなんでいるそうです。本丸へ行くには学校の
          敷地を通り抜けなければならず、私が訪れた日は土曜だったので、部活に来ていた生徒
          や保護者にご挨拶しつつ失敬しました。
           学校の敷地には含まれていると思いますが、本丸は周囲の横堀とともに遺構が良好に
          残っています。他方で郭内の削平は甘く、中央には削り残しのような土壇も見受けられ、
          少なくとも本丸については平時の利用を想定していない、つとめて戦闘用の区画であった
          と推察されます。
           直線を基調としていた二の丸からは役所跡や物見櫓跡が、また張り出し状の三の丸の
          大手からは四脚門の跡が検出されたとされ、二階堂氏関連としては異例の複雑な構造を
          もつ城塞であったようです。同様の特徴は南東約1kmの御所宮館にもみられ、あるいは
          須賀川城攻防戦に先立ち、佐竹氏の指導による改修を受けたとも考えられます。

           
 本丸下の横堀。
同上。 
 本丸先端部の切岸。
本丸南西隅の竪堀状地形。 
 本丸のようす。
本丸中央の土壇状地形。 
 本丸の土塁。
本丸背部の土塁。 
 滑川に架かる橋から城山を望む。


BACK